学生を連れて保育室にむかうと年長の女の子が「えんちょうせんせい、りゅうこうおさえてるよね!」と声をかけてきた。

 

「えっ? りゅうこう?」と聞き返すと、近くにいた男の子が「たんじろうだ。えんちょうせんせい、たんじろう」

 

??????????????キョトンとしている僕に学生さんが「きめつだと思います」

 

「あ〜、それって悪役?」と尋ねたところ「え〜、知らないの!!」

 

事務所に戻り、ネットで調べてみた。

 

   

 

似てますか? 流行押さえてますか?

 

 


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サルや類人猿は集団を作り移動しながら暮らしていた。

 

快適な場所であっても長く滞在すれば、食べ物は無くなるし、排泄物で汚れ環境は荒廃する。

 

でも、適度に移動すれば環境を過度に汚染せず、汚染された環境も時間がたてば元に戻る・・・だから、人類はつい一万年前までは遊動生活をするのが当たり前で「定住」なんて文化はつい最近の事らしい。

 

僕らが旅を楽しむのは遊動時代の名残なのかもしれないなんて思うこともある。

 

秋の4連休、GO TO トラベルも機能し始めたようだ。

 

僕のような、より原始的な人間は遊動生活時代のDNAが騒ぎ出すと自然の中に行きたくなる。

 

 

最近はアウトドアブームなので変人扱いされることもなくなったが、以前は「家の中に居れば快適なのに何故危険で不便なことしてるの?」と聞かれ苦笑いするしかない自分がいた。

 

それに対して答えなど持っていなかったが、ここ数年、僕のような日常を大切にする仕事をする人間にとっては異空間で過ごす時間は仕事にも役立っているのではないかと思えるようになってきた。

 

アウトドアを楽しむ場所に着くなり、食べ物はどうする、テントはどこに張る、危険はないか等々、環境に適応するために五感と知識をフル活用して探索活動が始まる。

 

強制的に脳に負荷と刺激を与えることと、子どもたちに安心と安全を与える定住生活思考は全く別な頭の使い方なのだろう。

 

とういことで、バランスの良い頭の使い方をするために僕は悪天候の中でも森や海や川で遊ぶのです(笑)


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歩いていると突然の雨、傘はない・・・・でも大丈夫。

 

今日はこんなこともあろうかと、透湿防水素材のトレーニングウエアを着ていたので、濡れることも蒸れることもない。

 

周りの人たちが軒を探し雨宿りしている中を悠々と道の真ん中を歩くだけでも気分がいい。

 

様々なところで言っているが、想定外の風水害なども起こる中、ビニールの雨がっぱなどでは命は守れない。

 

自然に適応して最適なものにしていかねば・・・

 

話は変わるが、西洋のレインコートの原型は獣の皮だ。

 

通気性はほとんどない。

 

日本では第二次大戦が終わるころまでは列車の工夫にも蓑を支給していたらしいが政府が、文明国として恥ずかしいからとゴムのレインコートを着せることにしたが、労働は15分も持たなかったようだ。

 

乾燥した蓑は雨の中でも通気性があり、実際中まで雨を通さないらしい。

 

先週までの酷暑、その前の長雨、そしてこれからの台風シーズン・・・日本人が得意とする環境に適応してきた知恵を働かせねば。

 

 

 


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自覚も貫禄も何もありませんが56歳の誕生日を迎えることが出来ました。

 

なんの技術も知識もない私が好きな仕事を自由にやらせてもらっているのは皆さんのお陰でしかありません。

 

これからも「みんなの成功が自分の成功」精神で頑張っていきたいと思います。

 

ここ数年、誕生日の日にはその日の雑感など記録するようにしているのですが、今日は「何故、八朗は車種は変えようとも30年近く赤い車に乗り続けているのか?」について語ろうと思います。

 

 

僕が福祉の世界に入った頃の「福祉職」に就く人たち像というのは「トレーナーにジャージ、専門性より人間性」といった時代でありました。

 

福祉事務所に実習に行った際に、担当についていたワーカーさんが「○○園の施設長はゴルフなんかやるんだよ」と軽蔑するように教えてくれたことに衝撃を覚えたことを今でも忘れません。

 

福祉事業に関しては意義とやりがいを抱きながらも、福祉業界の風土というか考え方にはちょっとなじめないものを感じていました。

 

「赤帽子三楽こと斉藤芳次郎」を知ったのは、そんなことを頭の隅に置きながら福祉業界に飛び込んだ直後でした。

 

赤帽子三楽は明治時代に「乞食の大将」と呼ばれていた人物で、社会福祉制度の影も形もない時代に一人で貧困者の救済をやった男なのだ。

 

 

赤い帽子に赤いビロードの服をまとい横浜中の貧困者を集めては「洗心」をスローガンに、金を与えるのではなく、くず拾いをさせたり、職人になるよう仕事を与えたりすることで自立に導いたという。

 

福祉の教科書などには大正時代になってはじめて宗教団体が慈善事業を始めたり、関東大震災後に隣保事業が始まる前に生活困窮者救済をしていたというのだから、明治時代にこんな活動をしていたのだから赤帽子三楽を社会福祉のパイオニアと言ってもおかしくない。

 

しかし、この赤帽子三楽という男、30歳過ぎまでは、やくざに追われたり、トラブルを起こしたりとかなり有名な無頼漢だったらしい。

 

破天荒な生活をしていた赤帽子三楽が「何故、物乞いを無くす」活動を始めたかはわからないが、変人・奇人・売名家などと言われながらも義侠心に溢れたこの男には私利私欲が全くなく、物乞い達からの信頼も厚かったという。

 

今では横浜は自他とも認めるオサレな街となったが、もともと「乞食谷戸」と言われていた南区が今のような「みなみの風はあたたかい」街になったのは赤帽子三楽という男の存在がいたからではないかと思っている・・・というか、25歳ころの僕はそう思った。

 

僕は、仕事を覚えるより先に昭和の赤帽子三楽になるために借金をして「赤いハイラックスサーフ」という車を買った。

 

「赤」は僕の初心忘るべからずなのである。

 


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『鉄腕アトム』『鉄人28号』に続きアニメ化された『8マン』・・・昭和39年に放映されていたことを考えると僕の名前が「八朗」になったことに少なからず影響していることは間違いない。

 

 

アニメ黎明期の丸っこいキャラクターが全盛の漫画界で異彩ともいえるスタイリッシュなタッチが先鋭的だったエイトマン・・・さらに人間の英知を超えた超人類が地球消滅をたくらむがそれを阻止する内容と探偵SFという近未来の切り口も当時としては斬新で話題にならなかったわけがない。

 

タイムリーには観ていないものの「エイトマン」の話題を同世代の友人と話していても会話が盛り上がらない。

 

『鉄腕アトム』や『鉄人28号』の扱いと比べるとあまりにも扱いが低くないか・・・と『8』につよいこだわりを持つ僕はいつも疑問に感じていた。

 

その疑問の背景にある「8マン」の悲しいドラマを知ったのは丁度、今から8年前の誕生日の日の時だった。

 

昭和39年当時、「エイトマン」は予想通り大人気だったようだ。

 

しかし、テレビ放送が1年を超えたクリスマスイブの日をもって「エイトマン」は突如終了したという。

 

作者の桑田二郎が銃刀不法所持で逮捕されたための打ち切りだったという。

 

それでも、SF作家の小松左京にも愛されていたという「エイトマン」であればリバイバルのチャンスくらいあったのでは・・・しかし、「エイトマン」の悲話は続く。

 

なんと、「エイトマン」の主題歌を歌っていた克美しげるが愛人殺害で逮捕され、レコード全商品は廃盤、在庫回収となり、封印作品というレッテルが完全に張られてしまったようだ。

 

作品には罪はないのに・・・僕が「8朗」なのも何かの縁。

 

「エイトマン」の汚名返上を勝手におこなっていきたいと決意した8月8日でした。

 

 

 

 

 


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アメリカ最大級の金融機関、プルデンシャル生命のプレミアムメンバーでもある水谷功部長(写真右)が、昨日わが母子生活支援施設の支援のため施設に来てくれました。

 

所長の成田の説明に真剣に耳を傾けてくれて、高額の寄付までいただきました。

 

 

DVの被害者などが入所する関係もあり秘匿性が高く、なかなか社会の目に留まらない母子福祉に何故、関心を持っていただけたのだろうと聞いてみると、水谷さん自身が女手ひとつで育てられ、その境遇から”早く社会に出て、金を稼ぎ人のためにお金を使える人間になりたい”という想いを持っていたのだという話を聞かせてもらった。

 

小学生時代の「給食袋をもらえなかった」という出来事でつらい思いをしたというエピソード話す姿は、人が気が付かないような心の痛みを理解できる人なのだろうという印象を受ける。

 

水谷さんが盛んに口にしたのは、入所者の秘密は保持すべきだが、母子生活支援施設の機能は広く世間に知ってもらうことがひとり親家庭の助けになるということ・・・僕らが頭で理解していてもなかなかできていないところである。

 

また、今後の支援に関しても言及してくれた時には、金銭や物品的な援助以上に「子どもの体験や社会参加の機会」がありがたいという話を伝えさせていただきました。

 

また、今回の水谷さんとの出会いを演出してくれたのは、南区六ッ川から世界に様々な文化を発信する山田ベンツさん。

 

ベンツさんは現在、150名の障碍児と150の大使館を訪問するバリアフリープロジェクトを実施中。

 

https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/life/31370/

 

コロナ禍の中でも見ていてくれる人はいるし、わかってくれる人はいる・・・そんなことを感じた一日でした。

 

 

 


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離乳食やミルクは食べさせてあげるもの・・・おむつは替えてあげるもの・・・なんて思ってはいけない。

 

赤ちゃんでも空腹や満腹がわかり、それに大人が応答するという関係を作ろうとすれば、そこには自己決定という行為が発生する。

 

 

新人の職員が授乳していたので反応型(応答型)授乳について書いてみたい。

 

授乳で一番大切なのは「自分で空腹と満腹がわかり必要量がわかる」という事。

 

だから、保育士は哺乳瓶の残量よりも こどもの満腹の合図を見ることが重要だ。

 

つくった量を飲み干すことを目標にしたり、機嫌が悪いからと言って感情的な摂食を促すような授乳では将来の過食症などのリスクの素地を作る可能性だってある。

 

完全母乳育児をしている人は、満腹に関し結果的に応答していることになるが、保育園での授乳ではこどもとの応答で判断しなければならない専門性が必要なだと思っている。

 

空腹のサインにしても 手を口に持っていく・・・手足をバタバタさせる・・・口をしきりに動かす・・・呼吸がいつもより早くなる・・・汗をかく等々、人それぞれ違う。

 

授乳の時間間隔や量を決めていくのも こどもの姿や 子どもとの応答から判断していかねばならない。

 

自分で決められる子どもの第一歩は授乳期から始まるのだ。


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自分でいうのもなんだが今日はよく働いた。

 

新型コロナウイルス感染拡大防止という事もあり思うように保育が進まないが、来るべき保育完全解除に向けて準備をしておかねばならない。

 

今年度は3〜5歳児はバケツ稲にチャレンジするため13リットルのバケツ60杯分の土が必要だ。

 

サポートに名乗りを上げてくれたのが伊勢原 旬活工房の亀井社長。

 

 

柔らかい物腰ではあるが、幼いころから酪農を意識し、高校卒業後イギリスで酪農を学び、その技術で何度もホルスタインショーの最高位を獲得したという経歴の持ち主でもある。

 

さらに、2017年にお米の食味ランキングに出品し、「外観、香り、味、粘り、硬さ」の総合評価で最高位の特Aを獲得し話題になている神奈川が誇るブランド米「はるみ」を育てている方なのだ。

 

その田んぼから土をもらえるのだから、休みだろうが何だろうが行くしかない。

 

仲良しの誉工務店の武田社長のいトラックの荷台いっぱいにジョブソンでふかふかの土を運び入れる。

 

 

亀井社長ありがとうございました。

 

園に戻ってからは、DIYタイム。

 

皆さん「キエーロ」をご存知だろうか?

 

 

今後詳しく伝えていきますが葉山発祥の、黒土中に含まれるバクテリアの力を利用し生ごみを分解し消滅させる生ごみ処理機なのだ。

 

今年度の保育のテーマは「大切なものは目に見えないんだよ」・・・その一環としてキエーロを活用しようというもの。

 

 

小さなこだわりですが、このキエーロの素材は、皮むき間伐した杉を使っているんですよ。

 

緊急事態宣言は続きますが、アフターコロナに向けてくらき永田保育園は動いています。

 


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昨晩は ベランピングでソロキャンプ。

 

 

ベランダにテントを設営し、その中でのんびり本を読み、そして寝る・・・身近な場所での非日常。

 

実際体験してみるとベランダの僅かな傾斜(雨水が流れるための)や部屋では聞こえない様々な音が次々と感じられる・・・身体感覚が一瞬で研ぎ澄まされてくる感覚、最高だ。

 

モンベルのシュラフも快適で、朝起きた瞬間にテントの上の物干しざおに干せば道具のケアも完璧だ。

 

朝食を済ませた後は畑へ。

 

2週間手入れをしなかったら、そこは見事な野草のグリーンカーペット。

 

 

メルちゃんに食べてもらうだけでは夏野菜までの道のりは遠すぎる。

 

鍬を手に取り3時間。

 

 

なんとなく畑らしくなってくる。

 

畑仕事の良いところは、地道さが苦手な僕に、目の前のことをコツコツと行う大切さを毎回思い起こさせてくれることかもしれない。

 

午後は以前、相本さんに教えてもらったアルミ缶コーヒーを使ったアルコールストーブ製作。

 

プチアウトドアを楽しむグッズだが、世の中がアルコール不足だという事に途中で気がつき落ち込む。

 

別のおうち焚火の方法を考えねば・・・


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お前と出会ったのは2010年8月8日ギラギラと夏の太陽が照り付けるやたらと暑い日だった。

 

あれから9年と9カ月、ともに走った15万キロ。

 

タフなイメージだけでなく、街乗りとしてもオシャレで粋な相棒だった。

 

 

そして、鈴木八朗といえば「赤い車」だった代名詞が、今では八朗イコール「赤いジープ」というくらいの関係になっている。

 

トランクルームには、焚き火台やテント、釣り道具、農機具がいつも入っていて仕事が終われば、数秒後には非日常の世界にいざなってくれる僕のココロのオアシスでもあった。

 

でもお前とも今日でお別れだ。

 

 

さらば相棒。今までありがとう!!

 

 

 


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