日本生態系協会から「園庭ビオトープコンクール」の表彰状が届いた。

子どものための「乳児の森」と生き物のための「生活の森」を2階のテラスに作り、実践したことが評価されたことは実に嬉しい。

都市部の保育園でも 子どもたちに小さな自然環境を提供できることをこれからも発信していきたいと思う。



しかし、派手な賞状だ。

後日、食育の賞状の隣に並べる予定です。

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金太郎の故郷南足柄にプチハイキング。

南足柄市には、金太郎シンボルマークの案内標識、金太郎歓迎塔、足柄金太郎まつり、大雄山線大雄山駅前の金太郎ブロンズ像、童謡・金太郎の歌碑、金太郎力水、金太郎大明神、さらに金太郎まさカリーパンなど、あらゆる場面で郷土のヒーロー「金太郎」を見かけることができる。

大雄山駅前にある金太郎像
南足柄市の伝説地は、足柄山中の山懐に囲まれた地蔵堂地区。

最初に訪れたのは、金太郎産湯伝説の夕日の滝へ。



ぼーっと眺めるだけで心が安らぐ優雅な滝に気分が上がる。

この辺りには「四万長者伝説」がありその長者の娘・八重桐が産んだ子どもが「金太郎」の他、「金太郎生家跡(長者屋敷跡)」や「金太郎の遊び石(かぶと石・たいこ石)」・「八重桐の腰掛け石」などが散在していて見どころ満載。
 


ワイルドなエリアだけあって、民家の庭先にもイノシシが!!



いつかやってみたい憧れの狩猟体験が日常の生活の中にあるなんて・・・

まずは、金太郎が遊んだ足柄山や金時山で鍛えてから行動に移すとするか!


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夕方、夏休みの休暇調整の話を主任としたからだろうか?

気持ちはすっかり夏休みの計画作成モード。

まず頭に浮かんだのは、いつもと違ったフィールドでカヤックを漕いでみようである。

人があまり訪れないような、秘境をネットで検索していると「隠岐の島」という地名が目に飛び込んできた。



隠岐は、嫁さんの実家、島根県ではあるが訪問したことはない。

イメージとしても「後醍醐天皇」や「後鳥羽上皇」が流された島といった場所程度の知識であるため、あまり印象はない。

しかし、、調べてみるとなかなか魅力的なところなのだ。



また、興味を持ったのが「隠岐騒動」と呼ばれる事件である。

明治維新の前夜に隠岐で一揆が起こり、自治政府をたて無血革命が行われたと言うのだ。

これは、あのパリコミューンより早い時期のため、「隠岐コミューン伝説」と呼ぶ学者もいるのだと言う。

隠岐では、島民は等しく土地を分け、山林は島民の共有財産で、枯れた木なら誰が切っても良く、山菜や魚は取り放題で自宅に持ち帰ってよいと言う。

ホント??

なんだか真剣に行ってみたいよね。




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本日は祖母の一周忌の法要があり、菩提寺である本法寺に親戚一同集合。

本法寺の創建は文明三年(1471年)であり、また、現在の東京都文京区の小日向の地に寺基を移転して、平成17年(2005年)で300年の歳月を数えたという由緒正しいお寺さんである。

この本法寺は、夏目漱石ゆかりの寺としても有名?らしく、漱石の作品には、本法寺がモデルであるかと思われる「養源寺」が登場するのだ。



「おやぢの葬式の時に、小日向の養源寺の座敷にかゝってた懸物は此の顔によく似て居る。坊主に聞いて見たら韋駄天(いだてん)と云ふ怪物ださうだ。」

また、こんなものも境内にはあるのだ。


墓参の折立ち寄る、玄関横の「尾」という字のついた大きな石、この臺石の左側面に、一見、漢字の「不」という字に似たしるしが刻まれているのだが、これが几号(きごう)水準点と呼ばれているものらしい。

これは明治の初め、首都の地図作成や都市部の道路、水道のインフラ整備のため測量に利用されたもので、都内には公式記録に残っているものだけでも73ヶ所あり、そのうち本法寺も一拠点として選定され、お雇い英国人技術者の指導により、東京湾水位を基準とした標高が測定されたようだ。

当時の内務省布達では独立した標石や石灯籠や鳥居などの永久構築物にも彫刻して水準点としたものらしい。

東京以外にも設置されましたが全国で現存が確認できるのは100ヶ所程度というから実は貴重な石なのだ。

以前は興味の無かったが、年齢を重ねると「寺」が自分たちの精神構造に影響を与えていることや 法事という文化の意味や意義もだんだんとわかってくる。

皐月賞の開催日に真面目な話をすることが不真面目な気もするのだが・・・

えっ? 皐月賞?

今日は、その話題は無しにしようよ。

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毎朝、FM横浜を聞いて通勤するためか、最近やたらと「開港150周年」がらみのネタが多い。

今朝は、横浜開港の父と言われる佐久間象山のことが話題になっていた。

たしか、野毛山動物園に向かう、噴水のある広場の上側へと散策路を辿った高台にあるのが佐久間象山の石碑である。

松代藩士というから、長野県の人間が、何故、横浜の開港を推進したんだろうと思い、ちょっと調べてみると、実は、凄い人だということがわかった。

象山は蘭学に傾倒していたらしく、そこで洋式砲術や砲台構築などを学んで、西洋技術による国防強化を志す。そして、硝子の製造なども企て、さらには洋式大砲の鋳造なども行ったという。(この辺まではよくある話なのだ)

その後、江戸に出た象山は木挽町に砲術兵学の塾を開くことになる。
500名を超える門下生の中には、なんと勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬らがいたんだと。

さらにペリーが来航した頃、開港場を江戸から離そうとした幕府(下田と函館に決まっていたらしい)に対して、開港場を近くに置くことによる利点を重視、横浜の開港を強く推したのだという。

ここが、開港の父といわれる所以なのかな?

まだ、武勇伝は続く、ペリー艦隊が再び来航した時に黒船に乗りたくて仕方がなかった吉田松陰に密航を勧めて失敗、その責を負って象山は蟄居の身となってしまったのだ。

その後、長州、土佐両藩主の働きによって赦免された象山はに幕府の命によって上洛、開国進取と公武合体論を説いたが、それが仇となって、その年、京都三条水屋町で攘夷派の刺客の手によって暗殺されてしまったのだ。

ちなみに、電信の実験を日本で初めて行ったのも佐久間象山だったというから驚きだ。

享年53歳だった。早すぎた才能と言うべき人物だったかもしれない。

学生の頃は、歴史なんて嫌いな分野だったけれど、一人の人間ドラマとして追いかけると歴史って面白いなと再確認した一日である。

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