毎朝、FM横浜を聞いて通勤するためか、最近やたらと「開港150周年」がらみのネタが多い。
今朝は、横浜開港の父と言われる佐久間象山のことが話題になっていた。
たしか、野毛山動物園に向かう、噴水のある広場の上側へと散策路を辿った高台にあるのが佐久間象山の石碑である。
松代藩士というから、長野県の人間が、何故、横浜の開港を推進したんだろうと思い、ちょっと調べてみると、実は、凄い人だということがわかった。
象山は蘭学に傾倒していたらしく、そこで洋式砲術や砲台構築などを学んで、西洋技術による国防強化を志す。そして、硝子の製造なども企て、さらには洋式大砲の鋳造なども行ったという。(この辺まではよくある話なのだ)
その後、江戸に出た象山は木挽町に砲術兵学の塾を開くことになる。
500名を超える門下生の中には、なんと勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬らがいたんだと。
さらにペリーが来航した頃、開港場を江戸から離そうとした幕府(下田と函館に決まっていたらしい)に対して、開港場を近くに置くことによる利点を重視、横浜の開港を強く推したのだという。
ここが、開港の父といわれる所以なのかな?
まだ、武勇伝は続く、ペリー艦隊が再び来航した時に黒船に乗りたくて仕方がなかった吉田松陰に密航を勧めて失敗、その責を負って象山は蟄居の身となってしまったのだ。
その後、長州、土佐両藩主の働きによって赦免された象山はに幕府の命によって上洛、開国進取と公武合体論を説いたが、それが仇となって、その年、京都三条水屋町で攘夷派の刺客の手によって暗殺されてしまったのだ。
ちなみに、電信の実験を日本で初めて行ったのも佐久間象山だったというから驚きだ。
享年53歳だった。早すぎた才能と言うべき人物だったかもしれない。
学生の頃は、歴史なんて嫌いな分野だったけれど、一人の人間ドラマとして追いかけると歴史って面白いなと再確認した一日である。