どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?現代将棋と進化の物語

 

一気に読んでしまった。

 

専門的な対局の内容や、いまの将棋の世界の詳細を書くことで、将棋の世界で頂点を極めている羽生善治と、彼を追うプロ棋士たち、さらに、彼らを追いかける「コンピューター将棋」の闘いの凄まじさを訴えかけてくる本なのだ。

 

 以前、「兄貴は頭が悪いから東大に行った」という、有名な棋士の発言を聞いたことがあるけれど、プロ棋士というのは、もともと「人間コンピューター」みたいなものらしい。

 

彼らは目の前に盤がなくても、頭の中の将棋盤に駒を並べて、電話で話しながら将棋を指せるっていうんだからね〜。

 

そんなプロ棋士たちの世界も「コンピューター」の導入によって、一気にその進化が加速しているというのだ。

 

坂田三吉時代の「勝負師」から、将棋という分野の「研究者」といった感じかな。

 

生涯通算勝率70%台前半の羽生さんは、将棋と人生は別物。『遊びは芸の肥やし』は遊ぶための口実に過ぎない。『将棋は技術』と言い切る。

 

うーん。厳しい。

 

この本の中で、羽生さんの凄さというのは、「ただ勝てばいい」だけではないというエピソードが書かれている。


57期王座戦第2局・山崎隆之さんとの対局での出来事。

 

まだ勝負が見えていない(と羽生さんは読んでいた)状況で、山崎さんがあっさり投了してしまったことがあったという。

 

山崎の投了の意思表示に対して、羽生は身体をびくんと震わせ、「おっ」 と

声を上げた。

 

突然の投了に心から驚いている様子だ。

 

そしてすぐ山崎に向かって、この将棋は難解なまままだ続くはずであったろう、そして自分のほうの形勢が少し悪かったという意味のことを、かなり強い口調

で指摘した。

 

山崎もすぐさま言葉を返したが、羽生の口調と表情は厳しいままだった。

 

羽生さんは「勝者」なのに。

 

自分が勝つことを喜ぶよりも、「もっと良い勝負になるはずだったのを、ぶち壊しにされた」ことに憤りを感じる棋士・羽生善治

 

勝負師であると同時に「技術者・芸術家としての棋士」というのは、本来そうでこうあるべきなのか。

 

まあ、何の仕事でもそうだけれど、「勝たないと食っていけない」世界で、「勝敗よりも、素晴らしい棋譜を後世に遺したい」という姿勢を貫けるのは、ごく一部の選ばれた人間だけなんだけどね。

 

最後に、羽生さんが著者に語った「将棋の魅力」。

 

「日本にたくさんある伝統芸能、伝統文化のジャンルの中で、将棋はすごくユニークで特異な存在ではないかと思うんです。着物を着て対局している姿とか、対局場の部屋の雰囲気とかは、五十年前も今もほとんど変わっていないはずで、写真で見る限り、将棋の世界は何の変化もなく、時間が止まっているようにも感じられます。それで将棋の中身も全然変わっていないと思う人もかなりいるのですが、実際には、将棋の本質は大きく変化しました。盤上での技術的なところという意味です。盤上の技術は、それはもう、伝統的な観念とかそんなものを持っていたらどんどん乗り遅れるだけで、とにかく今あるもの、今使えるものを最大限に駆使して、その中でどういうふうに技術を進めていくかが、カギを握るようになっています。 伝統と技術。こういう極端な両面を併せ持った世界って、たぶん他のどこを探してもないのではないだろうか。そのユニークさにこそ、将棋の魅力の本質があるのではないかと思うんです」

 

傍からみたら、「変わらず強い」だけでも、周囲が進化していくのですから、羽生さん自身も進化し続けていなければ、あっという間に取り残されてしまうということか・・・。

 

「知を極める」というのはどういうことか、真剣に考えさせてくれる面白い本だったな〜。

 

新しい年を迎える前に読んだら、もっと影響を受けたかもしれない。

 


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