本日、久良岐母子福祉会館の落成式が行われました。

 

 

節目の日に気持ちを書いておこうと思います。

 

建て替え前の久良岐母子福祉会館が竣工したのは今から48年前、ちょうど私が小学校一年生になる時でありました。

 

今回設計管理を行ってくれた安江先生のお父様が設計されたその施設は、保育園と乳児院と母子寮という3つの児童福祉施設を合築させ、子どもと家庭の問題は久良岐にくればワンストップですべて解決できるという画期的な視点をもった建物で 今、考えてみても斬新なものだったのではないでしょうか。

 

高度経済成長の中、社会のニーズを受け止め、入所は常に満員、保育園では今よりも多くの164名の定員に加え、夏季こども学校には50名を超える学童児が地域から集まるなど施設機能を120%活かした運営がなされていました。

 

私は両親が住み込みで働いていた関係もあり、ここで生活し、入所者や職員の皆さんに、久良岐のDNAを受け継ぎ、現在の鈴木八朗のベースを 形作ってもらったと思っています。

 

大学を卒業し、数年外の空気を吸って25歳の時に久良岐に戻り、現在の母子生活支援施設(母子寮)に勤務しました。

 

昭和45年当時最先端の発想と最新の機能を備えた施設でありましたが、平成という時代に変わり、20数年経過したそこに戻ってみると、風呂もなければ、電話もない、トイレは共同、6畳一間に中高生含め4人で暮らさねばならないという世帯もありました。

 

暴力や貧困・差別から抜け出すため、全てを捨て、もう一度やり直そうと入所してきた人たちにとって、そこは、新たな悩みを生み出す環境でもありました。

 

ある日6年生の男の子が「お前の家には風呂も電話もない」という理由でいじめられ泣いて帰ってきて「俺が何をしたんだ!」といって私の胸をどんどん叩いた時の悔しさというかやりきれない感情は今でも忘れられません。

 

この劣等処遇的な状況を打破しなければ、福祉の向上などありえないと中規模修繕などを行い環境の改善を図っていた1995年には阪神淡路の大震災もあり、施設機能の課題加え、耐震の問題も重なりにわかに「建て替え」という言葉がリアルになってきました。

 

しかし、現在の最低基準を満たすだけのスペースは中里の地では不足していましたし、都市計画法の絡みもあり道路幅の問題等で今日という日を迎えるには20年以上の年月を費やすこととなりました。

 

本当に長かった。

 

 

そして、本日、母子生活支援施設の戸塚移転、乳児院の転園と保育園の仮園舎づくり、旧園舎の解体と建設、引っ越しと丸6年かけてのプロジェクトがひと段落着きました。

 

落成式が終わり気が抜けた状態で保育園に戻り、机の上に溜まっていた書類に手を付けようと思いましたが、頭の中では今日、様々な方々から頂いた励ましの言葉が次々と浮かんできました。

 

疲れてはいますが、まだまだ頭は興奮しているようです。


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  • 2018/11/04 10:21





   
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