これからも引き続きよろしくお願いします。
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想いはあるもののどこから、どのように始めたらよいのかといったノウハウもなく、手探り状態で半年間試行錯誤を続けている。
そんな現状の中、各施設の職員だけでなく、施設を側面的に支えてくれているステークホルダーの皆さんにも集まってもらい合同の研修会&対話のセミナーを開催しました。
ゲストスピーカーは横浜市の共創におけるキーパーソン二人。横浜市政策局の関口昌幸さんとYOKOHAMAリビングラボサポートオフィスの河原勇輝さん。
個人的には何度も一緒に活動させていただいているお二人だが、久良岐の現場職員とは初顔合わせ・・・どんな化学反応が起こるのか楽しみだった。
関口さんからは横浜市の現状を俯瞰した視点と具体的なデータを使って、これまでの思考や常識を変えていきながら社会課題の解決を図るといったパラダイムシフトを起こしていく必要性と 久良岐が忘れてはいけないマインドの大切さを熱く語っていただいた。
それを受け、河原さんはご自分の体験や今まで行ってきた社会課題というよりも、相手の温度がわかるようなローカルな地域課題に向き合っている生き様をお話しいただいた。
中途半端な保育福祉の専門家の講義よりもずっとリアルで刺激的なトークは聞いていた職員の心に何かしらのスイッチを入れてくれたのだろう、その後のグループでのトークはとても活発なものになっており、一緒に議論にかかわっていただいたステークホルダーさんとの関係ももっと違ったステージに建てたのではないだろうか。
12月には各施設からの地域福祉実践発表が行われます。
小さな一歩かもしれませんが今日の一日が大きなターニングポイントになるような気がしています。
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今日の撮影のために作った粘土などの作品を使って動画撮影に挑戦です。
小さな映画監督、小さな演出家たちはチームに分かれ3作品を作ろう・・・・と撮影に臨んだものの、自分のイメージしたようにコマを動かすのは簡単ではありません。
「ちょっと待って、手が写ってる!」「動かしすぎ!」
撮影前は和気あいあいと話していたのに、出来上がりのイメージが合わないと喧々諤々と議論が始まります。
遊びではあるけれど「本気」が伝わってきます。
でも、さすが年長児、ピリッとしたムードが続くのかと思いきや 作品を見直してみようと再生してみんなで観てみると「思ったよりいいじゃん」「画面から消えるかんじがいいね〜」とお互いを評価しあいゲラゲラ笑いあっている。
今回の太陽企画さんとのコラボは実は続きがあります。
2月の小さな表現者で子どもたちの作ったショートムービーの上映会をしたい!!
子どもたちのやる気は満々、でも、それが困難なことは職員が一番わかっている。
何故なら・・・100コマのシーンを撮影するのに20分・・・映像として見られるのが10秒ちょっと!
ストーリーが伝わるような作品まで作り上げることが出来るのか!
こうご期待です。
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子どもたちではなく、カメのあ〜ちゃんが良く食べるのです。
保育園に来た当初は4キロ台だった体重が、今では8キロ越え。
食事風景を見ていると気持ちよいくらいにバリバリ葉物野菜などを食べる姿はミニ恐竜のようです。
給食室からの余り野菜ではとても賄えず、今では保護者から寄付をしてもらいながら食糧難を凌いでいる現状を聞きつけた菅澤設備さんが、なんと2階のテラスにアクポニックスの設備を作ってくれちゃいました。
昨日は、その運用の説明会を兼ねて、錦鯉の入魚式(こんな言葉あるのかな?)
そもそもアクポニックスとは何なのか?
水産養殖と水耕栽培を掛け合わせた循環型栽培システムなのだ・・・・何々、難しい。
簡単に言うならば魚を飼って、その廃棄物を有機肥料として野菜を育てちゃえという画期的なもの。
しかし、生態系の循環を回していくには当然配慮事項などもあり、その勉強会も行いました。
SDGs・脱炭素・節水・エネルギー節約などメリットも多いのだが、水温くらいなら理解できるが、PH・亜硝酸塩・アンモニアのパラメーターといった言葉が飛び交うと保育士の表情が一気に曇る。
とりあえず、すべて勉強。ここで起こることもすべて保育として活用すべく楽しんでいきます。
菅澤設備さんありがとうございました。
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来月から会社を興し本格的にモノづくりを行っていくという夢のある話を聞かせてくれていた時の雑談中に「こんな木のおもちゃが合ったら良いな〜」と僕の思い付きトークが始まった。
木の素材のメモリーカード的なものがあればよいのに。
木肌は樹種によって違うから見た目だとか、触り心地だけで盲牌のように同じ樹種を当てるなんていいんじゃないか?
木のカードは8種各2枚であれば4×4のケースに入れられる
ケースは保育室の棚に入りやすい25センチ強が良いな(と言いながらメジャーでサイズ感を確認)
調子に乗った僕は、「コレ、ウッドデザイン賞いけちゃうんじゃないですか!」と勝手な夢を語っていたら、福本さんもノリノリで話を聞いてくれて・・・・
そして、2週間ちょっと経った今日、突現福本さん夫婦が保育園にやってきた。
そして、二人の手には、妄想120%セントで語っていたおもちゃが!!
感激した。
すぐに触らせてもらう・・・予想通り感触が違う、木の模様色も違う、香りもそして、重さまでも樹種によって違う。
完璧なメモリーカードだ。
オブジェとして飾っていてもお洒落だが、やはりここは保育園。
思い思いに並べたり、重ねたり、倒したりして青んでもらいたい・・・そして最後は「片付けが遊び化」するように!
そんな要望もちゃんと入っているではありませんか!
このおもちゃをくらき永田保育園だけのものにしておくのは勿体ない!
でも、まず保育園で遊んでみて改良点を探してみたいと思います。
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昨年度は「リフレクション」を深堀りした保育アップデートフォーラム横浜ですが、今年のテーマは「保育現場の対話」
応答的で対話的な…といったフレーズは耳にするものの僕たちは本当に「対話」を行っているのでしょうか?
今回はダイアローグ研究の第一人者 大妻女子大学の高橋ゆう子先生をメインゲストにリアルな対話とそこから産み出されるものを体験してみたいと思います。
また、二日目には5つの園からの実践発表に加え、対話のスキルを深めるために「コミュニケーショングラフィック」「レゴシリアスプレイ」など特別スキルアップ研修も行われます。
ウイズコロナになっても「保育の研修は密なんです」というくらい刺激的な時間となりそうです。
★今回は対面式のセミナーなので定員になり次第受付は終了させていただきます。
]]>一言でいうと6人のユニークな校長先生が公立学校で起こした子どもファーストな実践を紹介する映画でした。温かくてユニークな校長先生・現場の先生たちから紡ぎ出される言葉の数々が実に心地よく小気味がよく、こんな学校と就学に向けた学びの接続を語り合いたいなと単純に思える映画でした。
ネタバレにもなってしまいますが、私立じゃなくても、こんなに自由にできるんですという応援歌のような映画で、口火を切るのが60年間通知表や時間割がない「総合学習」が続けられている長野県の伊奈小学校学校は職場ではなく、子どもと教師の「人生の邂逅の場」であってほしいという言葉が印象に残ります。
次は「子ども同士が比べないというのが一番」と通知表を無くした神奈川県茅ケ崎市立香川小学校。通知表を無くすことが目的ではなく、保護者とともに子どもの成長を見守りたいというスタンスがいいですね。
さらに校則をゼロにした東京都世田谷区立桜丘中学校 の西郷校長は「公立学校も校長の裁量で大きく変えられます」 と校則をゼロにして、定期テストを廃止。栃木県日光市立足尾中学校 の原口校長は「マスクをしているというのは後々たくさんのリスクを負わせることになる」 と様々な文献を調べ上げ、専門家の意見を聞き、最後は自分の判断でコロナ禍でも運動会、修学旅行などすべての行事を実施。東京都武蔵野市立境南小学校 の「宿題なし、チャイムなし、校長の権威なし」の標語もよかったです。
そして、大トリはわが横浜市南区日枝小学校の住田校長。校長室を無くし「校長が機嫌が悪いのは犯罪です」 と気持ちよく断言。学校経営で最も重要なスキルは、校長がいつも上機嫌でいることと笑顔で締めくくってくれました。
保育園を運営する立場から言えば、学校という空間は子どもたち一人一人の「できるようになった」とか「わかった!!」という本来であれば楽しい体験を人との比較や一般的な指標と照らし合わせて評価しなければならないから抜け出すだけでもダイナミックな学びの変化が起こるのではないかと感じました。
学びの喜びを子どもたちの手に!・・・そんなことを再確認した映画です。
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園庭全てを使って、同時多発的に多様な水遊びが繰り広げられる人気イベント。
トリムの丘の頂上からは、たくさんの雨どいを使ってピタゴラスイッチ。
上流から水だけでなく、氷やペットボトルのキャップなど流すので、素材によって工夫が必要なのがこの遊びの面白いところ。
一方、泥の池の温泉に浸かったり、身体中に泥をぬたくって感触を楽しんできたり、みんな表情が最高です。
奇麗なプールでは、思い切り水をかけてもらい嬉しそうな歓声が響き渡ります。
次回の水フェスは8月10日、今度は絵の具という強力なアイテムが追加されるので、盛り上がること間違いなし。
暑い夏、水遊びの達人を目指します!!
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コロナが始まってから、今日のように同じ時期に子育てする人たちが家族で集まり、そして、他愛もなく話し、交流する機会が本当にありませんでした。
思い直してみると この2〜3年、何百ものママやパパの不安を耳にしてきました。きっとコロナ禍では子育てしている家族が小舟化していたように感じます。
不安なニュースばかりが耳に入ってくる荒れた海の中で遭難しようが、沈没しようが自己責任。
何もない穏やかな日は自由で良いな〜と感じられても「何か」小さな不安が頭に浮かんでくると、きれいに見えていた海の波が荒れ始め、強い風と真っ黒な雲が立ち込めてくる・・・そんな子育てをしていた方も多いと思います。
近くに安全な港があったり、同じ方向に航海している仲間がいたら・・・
くらき永田保育園は「場」の機能を大切にしています。
その「場」で大切なのは「する」をしないでも「いる」が認められる場所・・・何をしなくてもありのままで「居る」ことが大切にしたいと思っています。
今日のふれあいデーでは職員も参加者を「楽しませる」存在になる必要はなく、参加者の主体が現れやすくする方が大切ということを何度も何度も保育士に伝えました。
くらき永田保育園は楽しませてもらうようなエンタメ施設ではなく、むしろ、ふらっと立ち寄れる実家的な存在でありたいからかもしれません。
でも、そういった家族が拡張したような、支えあうなんて堅苦しさなんてないのに一緒にいるが感じられるだけで安心できるようなコミュニティがとても大切だな〜っと改めて感じました。
単純に子どもの姿を微笑ましいと感じたり、小さな成長を喜び合ったり・・・そんなことを大切にしながら繋がりあいお互い成長していけたら最高です。
今日、僕は何もしなかったけれど楽しかったです。
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お泊り会も18名がケガも、体調を崩すこどももなく「みんな笑顔」で終えることができました。
お迎えに集まった保護者に担任のS先生から感謝のあいさつを兼ねて楽しかった時間を伝えてもらうのだが、それを聞いてくれている保護者の皆さんの表情がとても穏やか。
きっと若手の保育士を自分の大きな子どものような気持になって「よく頑張ったね」と見守ってくれているようだった。
うちの保育園の保護者の皆さんは僕の自慢でもある。
保育士の頑張りをねぎらってくれたり、積極的に協力を申し出てくれたり、差し入れがあったり・・・最高だ!
担任のあいさつが終わると子どもたちが大きな荷物を持って登場。ママやパパを見つけると一目散に駆け出し抱き着く子もいれば、ちょっと恥ずかしそうに はにかみながらママに近づきギュッと抱きしめてもらったり…家族の数だけドラマがあることを実感する。
親元から離れて友達と過ごす24時間というイベントだが、こののり越え体験というか、通過儀礼は子どもたちにも職員にとっても大切な時間で、この一日が卒園まで、いや卒園後も子どもたちの心や行動に影響を与えてくれるのだ。
月曜日に子どもたちがどのようにお泊り会を感じたのか早く話を聞いてみたい。
昔なら「終わった〜、さあ、遊びに行くか!」という気持ちになっていたが、僕も歳を取ったのか「寝たい!」と初めて感じたお泊り会明けの朝でした。
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なんと夕食を食べている間に2階の保育室がコロボックルの森になってしまいました。
こうなったら探検の旅に出るしかないでしょ!!
最初の部屋には奇麗なキノコがたくさん生えていて、そのに現れたのはトンガリ帽子で竹ぽっくりで遊ぶコロボックルだ。
コロコロコロコロと高い声で一緒に遊ぼうと言ってきた。
僕たちが竹ぽっくりが得意なのを知らないのかな? こんなの簡単にクリアだ。
次の部屋にはキラキラした宝物を失くしてしまい困っているコロボックルが・・・
ここで会ったのも何かの縁だ! 仕方がない、一緒に探してあげよう。
探し物のキラキラボールを探したら、コロボックルからありがとうを言われたよ! そして、謎のパズルのピースを二枚渡されて・・・。
6枚たまったそのピースを組み合わせてみたところ!!!!
この後、子どもたちに何が起こったのかは是非、明日聞いてみてください。
コロボックルはこれが見たくて保育園に遊びに来たのかな?
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どうですか? おいしそうでしょ!!
ハムカツカレー以外は全部は僕たちが作りました。
一方、カレーを作ってくれた給食室の新人栄養士M先生は大事な行事の盛り付け初体験。
でも、子どもたちとのやり取りがたのしかったようです。
そして、みんなでいただきま〜す。
「う〜〜ん、旨すぎる」のポーズです。
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コロナだから出来ないではなく、こんな時でも子どもにとって必要であれば、どのように実施すればよいかを考える・・・昨年度からそんなスタンスで進んでいたこともあるので、お泊り会前後では様々な食育活動が行われました。
そして、当日の夕飯、子どもが作るのはミネストローネ!
以前は普通に保育で使っていた包丁だが、3・4歳での積み上げがない中、安全・衛生・事故防止を考えると包丁を使うには丁寧な導入が必要だ。
栄養士の先生とも何回も打ち合わせを重ねてきたこともあり、野菜を切る姿を見るだけでも感慨深さを感じてしまう。
子どもの姿を見ながら、個別に見守り、また、手を添えて・・・応答的に援助していく。
クッキングが終わるとお風呂タイムだが、入浴の待ち時間には川で拾ってきた石にストーンアート。
ポスカや絵の具を使って、石の形状に合わせて思い思いに描いていく。
同じような作品が並ぶのかと思っていたら、ひとりの作品の中でもいろいろな表現が・・・石をキャンバスにするって面白いなと教えられました。
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コロナ禍の影響もあって、大切な幼児期の様々な体験の機会を制限されている子どもたちなので、この一年は思い切り豊かな時間を過ごしてほしいという職員の想いが通じたのか天気も最高でした。
まずはバスに乗って コロボックルがいるかもしれないという森の中の源流へ。
保育園の園庭の大型遊具とは全く違った自然が作る「遊具」は登りたくなったり、くぐりたくなったり、ジャンプしたくなったりするアフォードを子どもたちに見せてくれるので どこもかしこも魅力的。
今年の梅雨は雨が少なかったこともあり、例年よりも水量が少ないのですが逆にどこも魚影が濃く、網でも小さな魚が掬えます。
用意していたセルビンの仕掛けにスルメ、鰹節、煮干しの三種類の餌をそれぞれ入れたところ、オイカワ、ドジョウ、ハゼ、スジエビ等々様々な生き物とも出会えて大満足。
生き物を捕まえる活動って最高の学びの機会だと思います。
森の中は涼しく、木漏れ日の下で遊ぶ子どもたちの姿が映画のシーンのようでした。
帰りのバスの中では疲れ切ったようにすぐに眠りの世界に入りましたが、道路がガラガラだったこともありあっという間に保育園に到着。
この後はスイカ割り、クッキング、そして、2階テラスの露天風呂・・・まだまだ楽しいことは続きます。
]]>訪問介護サービスに献身的に従事する松山ケンイチが高齢者42人を殺害したという内容の映画だ。
正直なところ映画を観るべきか、観ないほうが良いのか迷っていた。
なぜなら、障害者施設に勤務し、介護サービスに従事していた植松聖死刑囚が障害者45人を殺傷した「やまゆり園事件」と重なるところが多く、さらに、この映画の主人公も確信犯として殺人を行っている内容だとすると冷静に映画を観ていられるだろうか?と思っていたからだ。
やまゆり事件と共通項が多いと思っていたが、映画が始まってすぐに、これは別の次元で僕らに問われているものがあることはすぐに分かった。
映画で松山ケンイチが演じる犯人は、純粋に介護に打ち込み、そして、周囲から一目も二目も置かれています。
つまり介護のプロとして仕事をしている。
そして、障害者に対し優勢思想をもとに勝手に殺していった植松死刑囚の差別の思考とはあきらかに違って、映画『ロストケア』は安楽死や尊厳死に関わる話なのだ。
しかし、そうだからと言って人を殺めてよいわけがない。
福祉のプロである彼が、なぜ、「救い」のためにロストケアという選択をしてしまったのか?
そして、観ている僕らはこの殺人犯に共感の感情が生まれそうになるのか・・・
逆に長澤まさみが演じる検事の正しい言葉が、正しく僕らに響いてこないのはなぜなのか?
保育や家庭福祉の分野でも起こる「虐待」もそうだが、ただ間違っているという言葉だけでは片づけられない。
そこには家族関係、経済状況、当事者の生い立ち、そして、今の社会制度などなど、僕らは一人ひとり異なった状況を抱えて生きている。
その状況の中で正常な判断ができなくなってしまう可能性に僕らは共感してしまうのだ。
外部とのつながりがなくなり、SOSが届かなくなったら・・・それが想像できてしまう時代だから、この映画が成り立つのだと思う。
子育てする親も 障碍を持った人や高齢者と暮らす家族も日常生活から一つでも歯車が狂えば、子育てや介護という行為が苦しくなり
その対象者が「ただ居てくれる」という当たり前に疑いを持ってしまうのだ。
支えが必要だ、あらゆる孤立をなくしていかねばならない。
そんなことを考えさせられる映画でした。
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甘酸っぱい香りと奇麗な色合いではありますが、作業として一番大変なのは薄皮むきと種取です。
大人でも面倒な作業ですが、流石4月からは小学生になる年長児だけあって黙々としかもキレイに実を取り出します。
そして、給食室から借りた大きな鍋に大量の夏みかんとグラニュー糖を投入、ドキドキしながら火にかけます。
様子を見ながらかき混ぜて、とろみが出るまでじっくりと待ちましょう。
途中、お茶の袋に入れていた種がはみ出てしまい、それを地道にスプーンで掬わなければならない作業が出てきたときも、「人生はいろいろあるからね〜」と笑顔で語り合うこの子たちはいったい何者なのでしょう(笑)
完成したジャムはおうちへのお土産分と 給食でパンが出る日のお楽しみ。
コロナの流行でなかなかできなかった食育活動ですが、卒園前に楽しい活動ができました。
最後に、今日のジャムづくりをサポートしてくれたのは園庭の緑化を支援してくれているグリーンアンバサダの皆さん。
来年は同じく園庭のヤマモモでジャムを作りましょうと約束しました。
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こんなバケモノが目の前に現れたら、子どもたちからみたら迷惑でしかありません。
この鬼が登場した時、子どもたちはどのような行動に出るか皆さんは想像できますか?
恐怖映画のシーンのように悲鳴を上げて鬼から逃げ回る姿をイメージするかもしれませんが、実際の子どもたちの姿といえばどうなるかといえば・・・子どもたちは、担任の保育士にピタッとくっつき離れない…そんな行動をとります。
そう、信頼を置いている職員の安全、安心の輪の中に入ろうとするのです。
子どもたちは、不安や嫌なことがあるとき大好きな保護者や保育士がいるコンフォートゾーンへと戻ってくることで精神的にも肉体的にも身を守るっているのが鬼の目から見るとよくわかります。
勇気を出して鬼の背後から鬼退治をしようとする子どもだって、目が合うとスーッと保育士の後ろに隠れ次のチャンスをうかがっているのが面白いくらいに見えてくる。
ちゃんと自分の安心安全の輪を理解しながら、鬼たちとかかわろうとしているのが良くわかります。
やがて、鬼は退治され、弱ってくると子どもたちは、鬼たちと目を合わせ、保育士の腕の中から手を伸ばし握手やハイタッチを求めてくる。
そして、「おにさん、またらいねんもあそびにきてね」と優しい言葉をかけてくれたり・・・さっきまで泣き叫んでいた子どもが「おれって強いでしょ!」と膝の上に座ってきたり・・・
トラウマにもならず、鬼ごっこができるのもアタッチメントのお陰なのだと思います。
逆に子どもを驚かすために、怖がる子どもを鬼に差し出して面白がるような保育士ではいけません。それは、鬼が優しい鬼だろうが不適切な行動と言えるのではないでしょうか?
鬼は来訪神ではないのかもしれないが、保育園で伝承していくためにも意味や意義を再確認してみても良いのかもしれない。
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リハーサルで音を鳴らし始めた時から子どもたちは興味津々。
最初に登場したユーフォニアムという見馴れない楽器。
はじめは場の雰囲気がいつもと違って泣いていた乳児さんもミッキーマウスマーチやクリスマスの曲が流れ始めるとカラダを揺らしながら楽しみだします。
続いて登場したのがクラリネット軍団(命名したのはこどもたち)による四重奏。
おもちゃのチャチャチャのリズムに合わせ手拍子足拍子。
ラストを飾ったのはサックス4重奏。
すっかり場の空気にも慣れてきたのか子どもたち一人一人がリズムに合わせて動き回ります。
演奏してくださった皆さんはトークも上手で素敵な楽器と音楽との出会いを提供してくれました。
最後に予想していなかった子どもからのアンコールにはタジタジの様子でしたが、是非また遊びに来てもらえたらと思います。
NTT東日本東京吹奏楽団のみなさん、楽しい時間をありがとうございました。
]]>コンプライアンス委員のT先生の声が小さく響き渡る。
昨晩は職員会議、会議終了予定時間を20分越えていたが僕らは話し合いを続けた。
テーマは「静岡の事件から私たちは何を教訓として学ぶべきなのか?」
園児への暴行や不適切な対応があったことも問題だが、それに気づきながら誰かに言えない相談できないという状況がだんだん明らかになってきた今、自分事として対話の時間を取ろうということになったのだ。
まずはグループで話合い、そこで交わされた言葉を全員でシェアした。
「お昼寝の時間帯に隣のクラスで子どもの泣き声が聞こえたとき、私も一人で子どもたちを見ていて助けに行けなかった。あとから大変だったねと声をかけたけれど・・・」
「先輩である私が不適切な対応をした時、若手の職員が指摘できる関係性って・・・」
「価値観や保育観の違いを言い合える機会も必要かも」
「今までこうやってきたから・・・を当たり前にするのではなく絶えず点検し続けなければならない」
明確な答えが出たわけではない。でも、様々な不安や戸惑い、揺らぐ気持ちを真剣な表情で聞きあう姿がそこにはあった。
僕は総括として「人は誰でも子どもをコントロールできない時には、自分のココロもコントロールできない状況になる。ご飯を食べてくれない。お昼寝してくれない。片付けしてくれない。話を聞いてくれない。何度も何度も友達のおもちゃを取ってしまう・・・これらの行為は子どもにとっては意味がある行為だが、子どもの状況を見ずに解決しようとした瞬間に子どもの行為はすべて『問題行動』となり、その行動をコントロールすることが保育士の仕事に感じてしまう。自分の正しさ(正義)を示すために行動し始めるたときには人は非道なこともできてしまう。大切なのは起こっていることを関係性の中で見ていくこと。モノとヒトの関係をどのようにしていくか問い続けるしかない。」
社会は防止のための具体策を提示することを希望するのだろう。
でも、感情労働でもある保育の営みを部分的に切り取り改善を目指すという単純な思考は別な問題を生む可能性もある。
僕らは目の前に起こるすべての現象に対し、地味に対話を積み重ね最適解を求め続けるしかないのである。
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このシンプルな考えかたを保育園という子どもたちの集団の中で実践していくことは実は難しい。
クラス運営といった視点で職員のマネージメント的に効率、能率を第一に保育を考えれば、年齢や発達に即した計画を立てればなんとなく大人から見た「納得解」は得やすい。
しかし、それが一人一人の子どもたちの学びや育ちに繋がっているのだろうかと改めて考えると そこには「教え」はあっても「学び」がないのではないかと思い悩んでしまうのが保育の難しいところだ。
くらき永田保育園ではここ数年、予定調和的な計画性のある保育から、何が起きるかわからないけれど子どもと一緒に悩み、一緒に学ぶという保育を進めている。
日々の生活だけでなく、行事においても・・・
昨日行われた発表会も「子どもが計画段階から参画し、子どもがやりたいことをやる」発表会だった。
自分たちが廃材で作ったドレスを纏ってのファッションショー、忍者や武士になり切り、作った刀で演じる殺陣(たて)、自分達の芋ほり体験を物語にした劇ごっこ、舞台裏も見せるペープサート、魔女とのやり取りから興味を持ったたくさんのマジックショー、そして台本はあるのだが毎回違った動きになる「オオカミと七ひきのこやぎ」ごっこ。
そこには、「みんな一緒」ではないけれど「一人一人違った」「人の力を借りながら」「人に力を貸しながら」という新しい関係性の中での『学びと育ち』が確実に生まれてきているように感じている。
それは、子どもだけでなく大人にも。
これまでの保育や教育も悪くはないが、そこで交わされる議論は「教える側」の思考で考えられていたように思います。
どのように伝えたらよいのか? どのような体験が子どもにとって必要なのか?
その議論を子どもも一緒に、そして、何よりも「何をやりたいのか」を子ども自身が自分に問う時間を保障していく大切さを強く感じています。
そういった大人が決めた到達目標を実践から離れた考え方の中で育った子どもたちはきっと、「自分で問いを立て、自分なりの答えを見出せる人」になっていくのではないかと思うのです。
昨日、マジックショーの中でバケツに入れた水をこぼさずにグルグル回すという演目がありました。バケツ一杯に注がれた水をグルグルとまわし大きな拍手をもらっていたパフォーマンスの最後にバケツの中から舞台にこぼれ落ちる場面がありました。
その瞬間、舞台の袖から出てきたのは雑巾を手にした年長児。
「やらされる」「教えられる」だけでは絶対に育たない力が僕には見えたような気がしました。
予定調和でない保育の面白さはこんなところにもあるのです。
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保育園のテラスのプチ観察会の様子を写真でパチリ。
そこには「わたし」と「あなた」と「もうひとつ」という三項関係が出来上がっていました。
モノを介して人と人が関係を結ぶという能力と大切さ・・・
400年前も今も変わらないよな〜と思った瞬間でした。
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週末の勤務後に3時間というう長丁場の研修ということもあり、ウキウキした気分で研修に参加する職員などいないと思うのだが、トーク開始後15分も経つと横山さんのエネルギッシュな話に前のめりになってメモを取り出す職員が表れだし、そして、35分後にワークが始まると部屋中で沸き起こる対話・対話・対話。
SDGsのシミュレーションゲームということを忘れ、自分のチームの目標の達成を目指していたが、途中から世界の状況を鑑み、全体の利益のために協同していく変化には、一人だけでなく多くの職員の中に気づきが生まれたからだろう。
単なる自己犠牲でもなく、誰一人取りこぼさず、誰一人欠けることなく世界を構築していこうというエネルギーのベクトルが合ってきたときの気持ちよさは、現実の保育実戦でもぜひとも実現していきたいと感じる場面でもあった。
ちょうど3週間前のワークショップでも語られた「情報(事実)の共有」と「自分起点」というワードが今日も登場してきた。若手もベテランも自分の持っているものを活かしきることがマルチベネフィットに繋がることが感じられたのであれば最高だ。
あっという間の3時間でしたが、それも横山さんのファシリテーション能力のなせる業だろう。
一方、その力を活用し自由闊達にワーク出来たのは間違いなく、うちの職員の力と特性だと思う・・・この力を結集、活用できればくらき永田の保育の未来は明るくなると感じた研修でした。
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澄んだ空、奇麗な富士山、そして、歩くと心が弾む足の感触。
富士山に向かって「ヤッホー!」と大声を出しても止められも、咎められることもありません。
さあ、張り切って芋ほりです。
力をゆっくりといれて、ずずずず〜っと引っ張ると土の中から芋づる式にサツマイモが顔を出してきます・・・その様子や感触が面白いのかケラケラと笑い出し、それが隣の子どもにも伝染しゲラゲラゲラ・・・楽しい空気が広がります。
ママやパパのお手伝いもありましたが、あっという間にすべてのお芋を掘り起こしてくれました。 ̄
畑という空間が楽しいのは「芋ほり体験」もさることながら、そのあとのバッタ探しや、可愛い花を摘んだり、刈り取った草の山に登ったり・・・そういった他愛のない時間が楽しくて仕方がないようです。
保育園に戻り、大量のお芋を洗ってきれいにしてくれたのはお手伝いの保護者の皆さんです。いつも本当にありがとうございます。
10日間くらい寝かした後、11月2日は収穫祭(焼き芋会)&いきいき組による「お芋の屋台」の登場です。
みなさん、お楽しみに!!
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企画段階から子どもたちと話し合いを続け、意見を吸い上げたこともありアイデア提供だけでなく、司会進行、準備、大道具、撮影(段ボール箱で作ったものですが)、会場の装飾、衣装、警備、片付け等々、すべての行程にかかわってもらった運動会でした。
それは、従前の運動会で保護者に披露する「競技」「遊戯」と同じように見える場面もありますが、やはり全く違った運動会になりました。
運動会終了後に行った反省会の時にも職員たちに話しましたが、「何ができる」を見せる運動会から「何をやりたい」を表現する運動会への変化を僕らに与えてくれた運動会だったと思います。
子どもたちの主体性といった言葉を保育の中心に掲げてから数年たちますが、その「主体性とは何ぞや」また「主体性を保障するとは・・・」を今も悩み続けています。
今回の運動会を迎えるまでも職員間で何度も何度も話し合いました。
しかし、運動会を終えて振り返ってみると 子どもが参画することでモノやヒトとの関係性の中から湧き上がってくる「͡コト」の中に主体性の大きなヒントがあるのではないかと感じています。
運動会が終了したあと園庭を来週からの遊び環境に戻していたときのことです。
複数の子どもたちが勝手に会場に張られていたロープを片付けたり、遊びで使うビールケースを運んでいる姿がありました。
いろいろ子どもたちの成長を見せてもらった一日でしたが、このシーンはまさしく、子どもたちが運動会を運営している当事者になっていると感じた場面でした。
確実に目に見えない、しかし、大切な何かが育っていると確信した気がしました。
保育園には運動会、発表会、小さな表現者展といった行事がありますが、それを「行事」や「イベント」という保護者に見せるための特別な日にせず、「ただの遊びの延長としての一日」にどんどん進化してもらいたいなと思います。
そんな日々の中で見せてくれるその子だけの特別な育ちを見てもらい、一緒に成長を喜び合いたいと思うのです。
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昨日、本番の流れで運動会ごっこを行いカメラを向けてみた。
この画像だけ見ていると運動会というよりも夏祭りっぽい。
でも、子どもたちは楽しく、かつ真剣に表現する姿が一番の見どころです。
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ぐりとぐら・いないいないばあ・ねないこだれだ・わたしのワンピース・ももたろう・かばくん・シょうぼうじどうしゃじぷた・だるまちゃんとてんぐちゃん等々、50年以上たっても子どもたちに選ばれ続ける名作を世に送り出したメンバーの中で忘れてはいけないのは堀内誠一さん。
ぐるんぱのようちえん・こすずめのぼうけん・たろうのおでかけなどの人気絵本を生み出した堀内さんの生誕90周年を記念して県立金川文学館で「堀内誠一 絵の世界」が開催されています。
絵本だけでなくアートディレクターとして活躍していた時代の作品も含め、「絵」を通して広告、イラスト、デザイン、そして絵本といった表現活動全般を回顧するする展覧会なので見どころがいっぱいでした。
堀内さんといえば「〇〇な画風」というものがなく、逆に一冊一冊の作品を読み込み、それに合ったテイストの絵を、それに合った画法で描天才肌の作家さんだったのでしょう
置いてあった絵本を並べてみても まったくタッチが違いますもんね。
また、改めて様々な作品の原画を眺めているの 構図ひとつとっても「う〜ん」とうなってしまう。
面白いなと思ったのが、子どもの頃に描いた作品をまとめたスケッチブックなどを見てみると多彩な絵補描いている以上に その絵にコメントなどを加え編集的に表現したりしているところなどからも、絵本作家になるべくしてなった人なのかなと思うとともに子ども時代に好きなことを見つけ、とことんやることを保障していくって大事だな〜と強く思いました。
他にも見どころはいろいろあるのですが、絵本創世期のレジェンドたちが集まった写真などを見ながら その場所でどれほどの刺激的な夢が語られ、クリエイティブな競争が行われていたのだろうと妄想する時間が楽しかったりしました。
展覧会は今月25日(日)まで、横浜に来た時には是非、足を延ばして山手まで。
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職員会議で各クラスから発表してもらった中から選ばれたのは2歳児クラスの「野草集めから始まった氷遊び」という保育実践でした。
昨日、応募締め切り最終日にギリギリ間に合わせ無事提出しましたが、子どもたちの氷遊びはまだまだ続いているようです。
この写真は色水を凍らせ、それで絵を描いてみようの一場面。
イーゼルに貼られた模造紙にいきなり描き始める子どももいれば、溶けた氷の色が手に広がっていく様子を楽しむ子も・・・
2か月以上にわたって続いている「氷遊び」の成果か、2歳児の子どもたちがカラダで氷を理解し、その特性を理解して遊んでいる様子がわかります。
この経験が冬場になってどのように発揮されるのか、今から楽しみしかありません。
子どもたちの興味関心の高い活動は単元や期限などに縛られることなく継続していきます。
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泥だらけになって褒められることはあっても怒られることはないという人気イベントです。
どうですか? 気持ちよさそうでしょ。
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さて、職員や子どもたちから「おめでとう」の言葉シャワー、そして、沢山の暖かいメッセージやお祝いの言葉ありがとうございました。皆さんの顔を思い浮かべながらひとつひとつ大切に読んでいるだけでココロのガソリンが満タンにチャージされ明日からも頑張っていけそうです。毎年この日になると、自分がどれだけたくさんの方々に支えられて生きているかを強く感じます。感謝の意味とこれからもお付き合いいただく皆さんに今日の気持ちを残していこうと思います。ジミー大西、出川哲郎、内村光良、近藤真彦、稲葉浩志、堤真一、阿部寛、高橋克典、キアヌリーブス、ニコラスケイジ、三原じゅん子、杉田かおる、薬師丸ひろ子・・・同い年の皆さんもいろいろなことを考えながら58歳の誕生日を迎えているのでしょう。
昨日の朝、年長児のH君がつまらなそうな顔をして事務仕事をしていた僕のところにやってきて「えんちょうせんせい〜、なんかおもしろいことしようよ」と話しかけてきました。続けて、「ぼくさ〜、あそんでたんだけど、おもしろくないんだ〜」・・・な、な、なんて哲学的な発言・・・「遊んでいたけれど、楽しくない!!」
保育の神様が58歳にもなって保育の核となるものを掴んでいない僕に何かしらの気づきを与えるために素晴らしい言葉をぶちかましてくれたのかもしれない!
僕はパソコンから手を離し、H君に「じゃあ、おもしろいことやるか!」と声をかけるとH君は僕の手を引っ張り「うん、じゃこっちきて!」と園庭へ。
園庭に行くと男の子たちはセミ取りに一生懸命、一方H君は僕が以前作っていた竹の水鉄砲(分解された)を手渡され、これやってみてというあ〜、水鉄砲の使い方がわからないことが「つまらない」の原因だったのか思い、H君に竹の水鉄砲に水の吸い上げ方の見本を見せ、ぴゅーっと水を空に向けて発射して見せた。これで、水鉄砲をつかって遊びだすだろうと思ったら、H君は「えんちょうせんせい、まって」と言って水鉄砲をビオトープ池に持っていき、浮かんでいた葉っぱを吸いつけたり、水の中に水鉄砲を発射してオタマジャクシを脅かしたりしている・・・鈴鉄砲の遊び方をアレンジして面白いことをやっているではないか!!
「H君!! めっちゃ面白いじゃん」とついつい声を上げると、ニコッと笑い「そうでしょ」
H君は竹の水鉄砲の新しい遊び方を面白がれる人を探していただけなんだ!!
高杉晋作は「おもしろきなき世をおもしろく、すみなすものは心なりけり」といったが、面白き世にするためには「面白がる仲間」が必要なのかもしれない。
僕のようなちっぽけな人間にできることなどたかが知れているかもしれないが、これからも皆さんと面白き世を作るためにあらゆる出来事を面白がっていきたいと思う58歳の夜でした。
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運慶というと奈良の仏師のイメージの強いが、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、三浦半島の歴史や文化に新しい光を当ててくれました。
運慶好きの僕でしたが、横須賀市の浄楽寺には1189年に運慶が造った5体の仏像があり、この5体のうち毘沙門天立像と不動明王立像が展示されていました。
間近で見る運慶の作品はやっぱりかっこいいんですよね。
写実的なんだろうけれどデフォルメされたスーパーリアリアルな感じが何とも言えない。
怒られちゃうかもしれないけれど、リアルすぎるフィギアや実在しないゴジラをリアルの感じるような感覚。
いないものがいるように感じられるリアルさですね。
よく運慶と比較される快慶の作品のほうが仏像として有名なものは多いのかもしれませんが、二人の作品から受ける印象は全く違いますよね。
一言で言うなら「かっこいい」運慶と「上手な」快慶・・・あくまでも僕の感想です。
肖像としての完璧さというのなら快慶って凄いなと思うんですけれど、仏様の超人性というか今にも動き出しそうな錯覚を感じさせてくれるのは運慶なんですよね。
玉眼と視線が合う場所に立って、作品をにらみつけてみました・・・動き出しそうに感じるんです。
運慶凄いです。
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今日観てきた『こどもかいぎ』もまさしく、保育園(こども園)を舞台にした映画でしたし、それが実に面白かった。
この映画がきっかけで日本中の保育の”何か”が変わっていって欲しいなと思える作品でした。
そして、その何かとは「子どもの対話の大切さ」です。
保育園での生活の中で、カラダを動かしたり、食事をしたり、うたを歌ったり、製作したり、遊んだりという生活の中に「対話する」という時間がしっかりと保障されていくように保育が進化していってもらいたいと思います。
大人の世界でもコミュニケーションの大切さが言われていますが、今なされているコミュニケーションが議論なのか、討論なのか、雑談なのか、対話なのか??そんな区別も整理もできないままコミュニケーションの大切さだけが叫ばれている気がします。
でも、この映画の「こどもかいぎ」の場面のように自分の気持ちや考えを強制されることなく言葉にできたり、たとえ、意見が言えなくて逡巡したり、言い淀みがあってもちゃんと耳を傾けてもらえる安心安全の場をすべての子どもたちに提供できたら素晴らしいなと単純に感じます。
自分の話を聞いてもらえたり、自分と違った考えを受け止めたり、、、、その場で綺麗な結果が伴わなくても確実に違ったもの同士でも一緒に生活する仲間としてのシチズンシップが備わってくるのが伝わってきます。
三輪車の貸し借りの場面でも象徴的に「返報性の原理」が働くような場面が映されていました。
受け入れてもらった人だけが受け止めることもできる・・・そんな当たり前が詰まった映画でした。
ただ、保育士はファシリテーターとしての勉強や訓練を受けてきたわけではなく、主人公の先生二人も試行錯誤しながら「こどもかいぎ」を進めていました。
大変だったと思います。
問いの立て方がうまくいくと意見が活発になったり、逆に大人が聞きたいことと子どもたちの興味関心が一致しないと対話が弾まなかったり、、、、就学前の子どもたちとの対話は簡単ではありません。
さらに、6対1で「こどもかいぎ」をするということは、そのほかの子どもたちを保育する「誰か」も必要になるので体制的にも工夫が必要です。
それでも、映画の中に様々なヒントが隠れていたように感じます。
それは、椅子であったり、丸いカーペットであったり、人数であったり環境面からのアプローチだけでなく、この映画を題材にワークショップしながら研修するのもよいかもしれません。
まだまだ、語りたいことがたくさんあるのですがネタバレさせてしまいそうなので、一度ストップしたいと思います。
でも最後に一つだけ、映画の中のシーンで「ライオンクイズと恐竜クイズ」という場面がありました。
映画全体の文脈から言ったら入れる必要がない場面ではないかと思うのですが、なぜ、このシーンを入れたのか??
きっと豪田監督が撮影を続け、子どもたちと過ごす中で子どもたちに対し「思い入れ」が強くなってしまったからではないでしょうか?
子どもとの暮らしには「コレ」があるんです。
大変なこともあるけれど、そのすべてを取り払ってくれるような楽しい時間を与えてくれるのが「子どもがいる生活」なんだよな〜と感じました。
保育関係者だけでなく、あらゆるオトナたちに観てもらいたい映画でした。
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小雨交じりの天候だったこともあり、いつもとは違った場所への避難ではありましたが、子どもたちは落ち着いて行動していたこともあり、署長さんからお褒めの言葉をいただきました。
避難訓練の後は職員の初期消火訓練です。
しかし、その前に「消火器はいたずらしちゃいけません」を伝えるために子どもたちに丁寧な消火器講座。
大人も意外と知らないことも多く勉強になりました。
消火訓練は年間を通して練習していることもあってか、職員も慣れたものです。繰り返しの訓練は大事ですね。
この日を迎えるまでの一週間はコロナの感染拡大、悪天候予報による何回ものプログラム変更など神経をすり減らすような毎日が続きましたが、終わってみれば最高の想い出深い二日間になりました。
保護者の皆さんもきっと心配な夜を過ごしたのだと思います。
保育園の方はといえば昨日は朝から晩まで遊びまくった子どもたちはふか〜くふか〜く眠ってくれたこともあり静かな夜を過ごすことができました。
夜中はお泊り会のダイジェスト動画を作りながら、ゲラゲラ笑いながらのプチ振り返り。
お迎え前のビデオは楽しんでいただけたでしょうか?
牛乳パックで焼いた”おこげロールパン”朝食が終わるといよいよ引き渡しです。
茉莉子先生からのあいさつは、聞いているこちらがドキドキしますが、今回は感動して泣いてしまうこともなく、しっかり話してくれました。
そして、一日ぶりにママ・パパとの再会です。
嬉しいような・恥ずかしいような複雑な想いを持って出会う瞬間を見られるのは保育園職員の特権かもしれません。
やっぱり、家族が一番。
家に帰った時にどのような想い出話をしてくれたのが是非、教えてください。(この後、アンケートを送付しますのでご協力お願いします)
年長いきいき組が保育園で過ごす時間は残り8か月半、まだまだ魔女との交流は続くと思います。
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ブロッケン川の帰り道に魔女から届けられた地図を頼りに懐中電灯片手に宝物探しをしながらのナイトハイク。
ようやくパーティ会場に到着かと思ったら、緑色の点滅する灯と煙幕が・・・そして、その煙の中から登場したのが魔女の手下「まじょじょ」さん。
怖い人かと思ったら、ちょっとおっちょこちょいの可愛い魔女見習いさんでした。
まじょじょに連れられ回転扉を開けると、そこには巨大スクリーンと不思議なカメラが。
猫の足跡の上に立つと、魔法の力で変身させてもらえるのです。
子どもたちは、その変身を見てゲラゲラ大笑い。
続いて日の神様の登場とともに、自分たちで作ったろうそくに火を灯すと「魔女祭」の始まりです。
保育園はすっかり魔女の国になってしまい、それだけではなく、先生たちが魔法を使えるようになったのです!!
加藤先生が水の入ったバケツをグルグル回しても水はこぼれないし、園長先生はゆりげらーのようにスプーンを曲げたり、折ったり・・・、そして、浅野先生はなんと茉莉子先生を半分にちょん切ってしまいました!!
ぼくたちは懸命に呪文を唱え、なんとか無事に茉莉子先生を助け出しました。
パーティの最後には、「明日の朝をお楽しみに!」というメッセージが空から届けられました。
今回の夜のアトラクションには岩崎学園の学生さんが学部、学科を超えてボランタリーに協力してくれたおかげで、子どもたちに楽しい時間を提供することができました。
勉強・アルバイト・就職活動の合間を縫って何度も何度も丁寧に打ち合わせを重ね、そして、それぞれのスキルを活かしながらより良いものへ昇華させていこうとする姿勢には頭が下がる思いでした。
今度は来月の夏祭りごっこに登場してくれます。
将来保育士にはなりませんが、違う分野から保育を支えてくれる人材になってくれることを期待したいと思います。
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今回の夕食のテーマは「自分でお買い物&焚火ごはん」・・・永田屋さんに自分たちで考えたメニューの食材を買いに行き、それを焚火で調理するという計画でしたが、夕方当たりはバケツをひっくり返したような大雨。
急遽、ウッドデッキ前にブルーシートのタープを張ってパーティー会場は完成です。
二度にわたって練習したアルミ缶ごはんで作った「ネズミごはん」「鶏のホイル焼き」「ミミズのスープ」と魔女が好きそうなものばかり。
デザートの「牛乳プリン」は栄養士の下國先生が魔女に扮して登場し、特性カラメルをかけてくれました。
夕食が終わるといよいよブロッケン祭の始まりです。
子どもたちは魔女と出会えるのでしょうか??
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保護者の皆さんからいただいた12キロオーバーの7L巨大スイカがタライに浮かんでいます。
みぎみぎみぎ、まえまえ、もっとひだり!!
応援すればするほど目隠しした本人はどうしてよいのかわからなくなるようです。
力自慢の子どもたちがチャレンジしてもなかなかスイカは割れませんが、この単純な遊びは見ているオトナも興奮します。
割れたスイカはウットデッキでお腹いっぱい食べました。
スイカを食べた後は2階テラスで「泡の露天風呂」
あ〜さっぱりした!
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ところがバスのハンドルが勝手にどこかへと誘導してくれるように進んでいく、そして、着いた場所は魔法の貝殻が拾えるという「ブロッケン海」
きれいな石や貝殻を探すつもりで砂浜を歩いていると・・・
ひとり、また一人、海の中に足を入れ、そのうち腰まで浸かってジャブジャブ遊びだす。
こどもたちはカラダ全身で楽しさを表現し、遊ぶエネルギーもドンドン増してくる。
海から上がると急な坂をダッシュで駆け上がります。
そして、こんな場面でもバッタを見つけると、走るスピードが再加速。
なんというパワー。
お泊り会はまだまだ前半、バスの中ではぐっすり眠るのかと思ったら川や海での出来事を話しながら保育園へと向かうのでした。
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様々なバージョンのプログラムは考えていたので予定通りブロッケン川(森戸川)へ出発。
「雨よ、せめて小雨になってくれ!」と祈りながらバスに乗り込むと、逗子方面に近づくにつれて空が明るくなってくる!!
そして、現地に到着し、お地蔵さんに挨拶するころには雨もやみ、絶好の川遊び日和に。
また、川の水量も下見の時よりも少ないくらい、おかげで沢ガニなども見つけやすく子どもたちは大興奮。
さあ、カッパを脱いで川遊びを始めるか!
まずは、毎年恒例飛び込みエリアからのジャンプ、川が濁ると深さがわからず恐怖感も増してくるのですが、そんなことはお構いなしに飛び込みます。
慣れてくると上流へ探検冒険ジャブジャブジャブ。
一方、浅瀬の方では、大きな石の上に上がって踊ったり、歌ったり・・・
結局魔女には会えませんでしたが、ブロッケン川の川遊びは最高の想い出になったようです。
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魔女が住むというブロッケン川に冒険に行き川遊びや釣りなどを楽しもうと考えていましたが、雨という天気もあり、安全面の配慮しながらの探検となりそうです。
昨日はお泊り会の夕食に食べる「牛乳プリン」を作りました。
今年度テーマとなっている「乾物」・・・棒寒天を使ってのプリン作り。
はじめて見かける不思議な食材に興味津々。
さて、さて美味しく出来上がっているでしょうか?
いよいよ、出発まで30分前。
最後の点検を行ってきます。
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魔女の帽子のような屋根は作るのが難しそうだが、レンガ積み木はお手の物!
高く高く積み上げて・・・・
完成したかと思ったら、まじょまじょランドを完成させるには積み木が足りな〜〜い。
さあ、どうする!
]]>弘明寺にある絵本専門店クーベルチップさんが保育園で読み聞かせと絵本販売に来てくれました。
雑談の中で「なんで大型書店ではなく、クーベルチップさんに絵本を買いに来るんですかね??」なんて質問を店主の中村さんや神保さんにぶつけてみましたが、二人はニコニコ笑いながら「なんでですかね〜?」
でも親子で絵本を眺めている親子を見かけると何気なく声をかけ、絵本の魅力的な世界を広げてくれる中村さんや神保さんのお人柄によって、小さな絵本屋さんは成り立っているのだな〜と実感する。
良い絵本も絵本だけ存在しているだけでは子どもたちに届かない。
良いものを紹介する人、そして、子どもたちに読んであげる人…絵本は関係性の中で活きる存在なのだ。
保育士たちも最高の笑顔で絵本を選んでいた。
こういった時間も最高である。
]]>梅林を抜けた細い路地で魔女が好きそうな野草を子どもたちと探しているときだった。
高さ2メートルに満たないような小さな小屋を子どもたちが見つけました。扉には大きな錠前がかかっていてそれだけでも「これはなんだろう?」と興味津々。
小屋のある敷地に近づいて小屋を眺めていた時のことです。
うっそうとした林の中からヒラヒラ、ヒラヒラと白い蝶が舞い始めたのです。
「わ〜〜!!」
自然と歓声が上がると、さらに木々の中から隠れていた?蝶たちがさらに現れ気持ちよさそうに僕らの目の前で舞っていました。
「やっぱり まじょがちかくにいるんだね」
梅もぎの遠足の時には「遊びに来てね」と魔女に手紙を出していたこともあり、子どもたちはその神秘的な現象を「普通」に受け取っていました。
一方、園長の僕は夜になっても「あれはなんだったのだろう?」が消えません。
調べてみると・・・
花びらが舞い落ちるように大量に発生する白い生物の正体は「キアシドクガ」というこの時期に発生する蛾のようだ。
神秘的な現象はモンシロチョウではなかったが、子どもたちと魔女を繋げてくれる「保育の神様」はやはり存在しているようだ。
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ここ数年、『野生の思考』でうたわれているブリコラージュと保育について考え続け、今年度は保育室のひとつを「ブリコルーム」と名付け実践を始めたくらき永田保育園的なシンウルトラマンの映画の見方としてこんなのはどうだろう。
ウルトラマンや外星人を「大人」・地球人を「こども」・そして、ウルトラマンとなった神永を「保育士」としてこの映画を観てみると意外と面白いのではないか!!
「そんなに人間(こども)が好きになったのかウルトラマン(大人)」ポスターに書かれたコピーがこんな風に感じられたのでした。
神永を演じた斎藤工を「保育士」と見立ててこの映画を観るとまた違った楽しみ方ができるかもしれません(笑)
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8名の保護者がお手伝いに来てくれました。
皆さんペンキ塗り初体験とはいうものの一時間も経つと慣れた手さばきで、どんどんと園庭が明るくなってくるのがわかります。
誉工務店の武田社長や田代さんも「大勢で作業するとたのしいね〜」とお昼をごちそうしてくれました。
コロナ禍の中、保育園のイベントや交流も制限ばかりですが、こういった集まりでも『人が集う』と新しい何かの始まりを感じられます。
今日はお手伝いしてくださった皆さん暑い中ありがとうございました。
]]>今朝玄関ホールにはこんなものが・・・
透明のケースの中にはゴマよりも小さな卵が500個
あと数日で孵化するというのだが、卵からかえるまえにちゃんと変化の兆しがあるのだという。
予定では今日、明日がが「眼点」が見られる日。
なかなか見るチャンスがない生命の不思議に注目です。
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また、来週からは本格的にカイコの飼育が始まりますので、皆さん「桑の葉」の収集よろしくお願いします。
そんな幼虫天国の保育園に『虫屋』と言っても過言ではない保護者がいます。
今朝もテントウムシのサナギと幼虫を持ってきてくれました。
今年のテーマ「ふしぎがる」がどんどん育まれそうです。
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毎年、園庭から燕を視認することはできても保育園で巣を作ってくれたことは残念ながら一度もありません。
いきものすべての子育て支援施設になるためには、もっと環境を良くしていかねばならないのでしょうか?
さて、現在、弘明寺にある絵本屋さん「クーベルチップ」では、『つばめのハティハティ』の原画展が開催されています。
その企画の一つとして作者の箕輪義隆さんやかんちくたかこさんをゲストに呼んでの「つばめトーク」が行われました。
絵本製作の舞台裏というのはいつ聞いても楽しく、聞く前と後では作品の見え方も全然違ってくるから不思議です。
僕が一番興味を持ったのが、『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』の薮内正幸さんの絵をオマージュして描いたということ。
絵本好きにはたまらないエピソードで家に帰り二つの絵本を並べて読み直してしまった。
科学絵本というのは好きな子どもにはヒットしますが、興味がない子どもは絵本に手も伸ばしてもらえないことも多く、保育としてどのように子どもの興味関心の世界を拡張できるかは腕の見せどころではあるのですが、この絵本は科学絵本らしい事実の表記と子どもたちが感情移入できる物語性のバランスが実によくできています。
近所で燕の巣があるような地域の子どもたちには必見です。
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車を降りると目に飛び込んでくるのは欅(ケヤキ)、桜(サクラ)、橅(ブナ)など様々なビルのように高く積み上げられた木材の山・・・その山の中から現れたのが、今日、案内をしてくれた薗部弘太郎さんだ。
積みあがった木を眺めていると、早速「木の乾燥」に関しての熱いトークが始まる。乾燥段階に応じて変化させていく場所や乾燥方法・・・それを聞くだけでも唸ってしまうのだが製材から加工、そして塗装まですべてを行う薗部産業さんのモノづくりのこだわりは、もちろん乾燥だけでは終わらない。
まず、驚いたのは加工に入る前の製材・・・この段階から目利きというか僕ら素人ではわからない木の中身を読みお椀適した部分を切り出していく。
その四角い木の塊は「荒加工」するのだが、そこで使う刃物だけでなく、それぞれの加工の場所で使われる刃物は全て職人さんが鍛冶場で鉄を打っているだけでなく、一回一回の作業中にも刃物を研いでいるのだ。
そして、倉庫に並んだ機械たちも職人さんに長く使われていることからか独特の重厚感を持っている。
次に案内されたのが「人工乾燥室」削りの段階ででた木くずを燃やして煙で勳しながら水分の含有量を減らしていくことで強度を高めるのだという。
日本がまだ世界の工場だったころ湿度の違うアメリカに輸出していた時の失敗事例から学び、このような乾燥方法を編み出し、割れないお椀が出来上がったという。
そして、人工乾燥が終わった後に日を当てず、川から吹いてくる風によって2か月、日陰乾燥させる。
そして、木地師と呼ばれるベテランの職人さんの手により仕上げが行われる。
鍛冶場で打ったであろう刃物が壁一面にかけられており、それを使い分けながらお椀が出来上がっていく・・・見た目もキレイな仕上げだが触ってみると驚くほどの滑らかさ。
そこからは、漆やウレタンでの塗装工程だ。
まるで無塗装ではないかと見間違えるような器や皿も実は4回も塗りを行っているらしい。
弘太郎さんの解説を聞いていて感じるのは「木の器」に対する熱い想いの強さだ。
表面的に聞いてしまうと「循環型の経営」とか「SDGs」といった流行りの言葉になってしまいそうだが、70年以上にわたり続けている仕事への誇り、お客さんへの責任感、良いものを作ろうというプロ意識・・・言葉の端々から伝わってくる想いと器になるまでの「木と人の物語」は聞いていて実に心地よかった。
こんな薗部産業さんで「器になれなかった端材」を子どもたちの表現活動の素材として是非、活用していきたい。
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その日は潮回りは大潮、11時過ぎの干潮時を狙って荒崎の岩場で海の生き物を捕まえて遊ぼうというねらいで計画を立てていました。
子どもたちも、海蝕で削られた洞窟でお弁当を食べよう! 逃げ遅れたタコを捕まえて保育園でたこ焼きを食べたい!!と盛り上がっていましたが、当日の天気はみぞれも混じる様な冷たい雨。
オトナは正直「なんでだよ〜」という気持ちを消せませんでしたが、子どもは凄いですね。
遠足の行先が八景島シーパラダイスだとわかると一気に楽しみのモードを切る変える能力というか適応能力には感心してしまいます。
実際、現場に着くと大好きな生き物たちを目の前にすると目をキラッキラさせながら、感じたことを口にしだします。
水槽にへばりついて観察する「熱」が伝わってきませんか?
アクリルの水槽越しに生き物たちと対話を試みる様子もいきいきさんらしいなと・・・。
「このセイウチ、にらめっこ強すぎ〜」・・・あっかんべ〜程度では勝てなかったようです。
お弁当を食べて最後にイルカのショーを見てお別れ遠足は無事終了。
しかし、その時間帯が本日一番の雨と北風。
バスの到着を震えながら待ち、最後は雨の中ダッシュでバスに乗り込む。
子どもたちも口々に「さむかった〜」「さいていだ〜」「もうこんなのいやだ〜」でも表情はニコニコ、声も明るく元気。
とんでもない体験も友達と一緒なら楽しい想い出に昇華してしまったようです。
]]>そんなことよりも子どもたちをどのような存在として見ているのか?そもそも学びとはなんだ?
そんな問いを観ている僕らに突き付けてくるような映画でした。
劇中に「この学校にいると私でいられるの」というワードが登場します。
その「場」に「居る」ために自分の気持ちに目を瞑って「する」をしなければいけない・・・みんなと同じことが出来ないと認められない・・・そんなことはあってはいけないことなのだけれど現実の子どもの世界では、言葉にしきれない生き辛さや違和感を感じている子どもは想像以上に多いのだと思う。
映画に登場するオトナたちは基本的に子どもの評価者ではなく、子どもと対等な元コドモとして存在している。他者と比較する必要もないし、同じ到達目標を子どもにクリアさせることに懸命でもない。
だから、教師も自由な存在として子どもに接することが出来るのだろう。
世田谷区立桜岡中学校の西郷孝彦校長が「校長にはいろいろな権限があるのでいろんなことを決められる。早く校長になって学校を変えて、社会を変えてほしい」と助言をしているようだが、この考え方って凄く大切だと思った。
大人も子どもも主体的に行動するには自由裁量権がどれだけあるかというのが大きなポイントだと思う。
しかし、地震・風水害・不審者・コロナ禍などの影響で行政からの指導や保護者からの期待で「〇〇しなければならない」が増える一方の保育士の仕事の特性を理解したうえで、保育士に自由裁量権を付与していくのは園長としての腕の見せ所なのだと自分に言い聞かせました。
そうしなければ安全・衛生・事故防止を前面に押し出すだけの子どもたちにとっても規制だらけの楽しくない保育になってしまうし、そこに本物の体験や学びなど無くなってしまう。
保育に実際関わらない人向けのエビデンスをつけた計画書に沿った予定調和的な保育などつまらないし、子どもの育ちにもつながらないことをこの映画は訴えてくれている気がするのである。
き のくに子どもの村学園の堀真一郎理事長は言います。
「自由にしていいんだよ。責任は全て大人がとってあげるからね」
素晴らしい言葉だ。
子どもに間違ったり、失敗する権利を保障すること・・・就学前の子どもたちにこそ伝えてあげたい言葉だと思いました。
映画『夢見る小学校』は4月1日まで横浜最後の名画座 黄金町にあるシネマ ジャック&ベティで上映されています。
保育関係者だけでなく保護者の皆さんにもおススメです。
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コロナの感染防止のため、おもちゃや絵本も消毒の回数も増えたこともあり教材の劣化が早いという問題を保育園は抱えています。
また、乳児絵本は人気がある絵本ほどボロボロになるまで愛されるので定番の絵本は複数本化しています。
今回いただいたものは乳児の名作絵本と言われるものが多くそれにも感激しています。
子どもたちが手にするものは「安全なもの」そして「質の良いもの」を提供していきたいと考えていますのでありがたく活用させていただきます。
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早速、子どもたちの大好きな絵本を購入して活用したいと思います。
直接、お礼をお伝え出来ませんが児童福祉にかかわる我々にとってはとてもうれしい支援でした。ありがとうございました。
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https://youtu.be/gJNoVhw9iIs
70年間戦争をしていない日本で50年以上読まれているウクライナやロシアの絵本たちです。
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でも、すぐに仲直り・・・さっきまで泣いていても怒っていても何事もなかったようにニコニコ笑っている。
楽しいこと、美しいこと、不思議なこと、それだけでは収まりきれない負の状況が起こっても乗り越えていく姿を毎日、僕に見せてくれている。
大人の世界はどうだ。
ロシアがウクライナに侵攻したニュースが流れてから、ずっと僕はモヤモヤしている。
正直、ロシアやウクライナの歴史や関係性や両国の現在の状況の事は詳しくない。
当事者にしてみれば様々に絡み合った歴史や環境もあるし、そこから生まれた複雑な感情や立場もあるだろう。
しかし、武力という行動を命令するのは政治家であっても血を流したり、命を落としたり、また、武器を手に持ち人を殺めるのは市井の人である。
今、僕がパソコンに向かっている「今、この瞬間」でも銃声や空爆の音に怯えながら身を潜めている人の存在をわかっていながら何もできず無力感を感じている僕にできることは何だろう。
まずは、子どもたちと戦争について対話の時間を持たないといけないのではないかと感じています。
戦争によって大切な人が命を落とすこと、一生懸命に作り上げたものが壊されてしまう事、憎しみがさらに強い暴力を生んでいくことについて大人と子どもで口に出して対話する必要性を感じています。
コロナの感染が拡大した時もそうだった。
解決方法の見えない問題が現れ、違和感を感じながらもいつの間にか行動が規制され、本日の感染者は何名だといった統計学的な数字だけで物事を判断していくことしかできない現状がやってくることは体験したばかり。
多様性が叫ばれているのに人はすぐに違いを見つけては「分断・分離」する。
しかし、今はわかりやすい違いを見つけてわけることより、違ったもの同士の中に共通する何かを見つけ「繋がっていく」ことが大切だと思う。
遠い国で起こっている自分とは関係ないことにしないこと。
無力な僕らが未来のためにできることは子どもと戦争について語り合う事。
仲直りが上手な子どもたちから学びを得るのは僕ら大人かもしれない。
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こんなバケモノが目の前に現れたら、子どもたちからみたら迷惑でしかない。
この鬼が登場した時、子どもたちはどのような行動に出るか皆さんは想像できますか?
恐怖映画のシーンのように悲鳴を上げて鬼から逃げ回る姿をイメージするかもしれませんが、実際の子どもたちの姿といえばどうなるかといえば・・・子どもたちは、担任の保育士にピタッとくっつき離れない…そんな行動をとります。
そう、信頼を置いている職員の安全、安心の輪の中に入ろうとするのです。
子どもたちは、不安や嫌なことがあるとき大好きな保護者や保育士がいるコンフォートゾーンへと戻ってくることで精神的にも肉体的にも身を守るっているのが鬼の目から見るとよくわかる。
勇気を出して鬼の背後から鬼退治をしようとする子どもだって、目が合うとスーッと保育士の後ろに隠れ次のチャンスをうかがっているのが面白いくらいに見えてくる。
やがて、鬼は退治され、弱ってくると子どもたちは、鬼たちと目を合わせ、保育士の腕の中から手を伸ばし握手やハイタッチを求めてくる。
そして、「おにさん、またらいねんもあそびにきてね」と優しい言葉をかけてくれたり・・・
トラウマにもならず、鬼ごっこができるのもアタッチメントのお陰だろう。
逆に子どもを驚かすために、怖がる子どもを鬼に差し出して面白がるような保育士ではいけません。
鬼は来訪神ではないのかもしれないが、保育園で伝承していくためにも意味や意義を再確認してみても良いのかもしれない。
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そんな淋しいこと言わないでよ。
一緒に遊びたいからさ・・・♪
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ヤマシギ・シメ・ジョウビタキ・ツグミ・ハクセキレイ・アオジ・キジバト・シジュウカラ・コゲラ・メジロ・ヒヨドリ・ムクドリ・カルガモ・コガモ・アオサギ・コサギ・ダイサギ・バン・キンクロハジロ・カワウ等々
お腹いっぱい。
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短い期間ではありますが様々な気づきを得られた期間だったので忘備録として記録を残しておこうと思います。
私がYouTubeを始めたきっかけは「もったいない」という想いからでした。
くらき永田保育園には「自分で学びたいことは自分たちで学ぶ」という風土があり、職員会議などで保育士自身が調べたり、かんがえたりしたものを研修するといった機会があります。
そして、その中身がなかなか魅力的であったりするので、その僅か10分程度の時間をみんなでシャアできないか?と考えた時に思いついたのがYouTubeでした。
YouTubeにくらき永田保育園のあらゆるナレッジを載せて、みんなに見てもらおうくらいの軽いノリで、まずは自分でやってみるか程度の動機でありました。
自分の飽きっぽさは自分が一番理解しているので週一回投稿、2年間で100コンテンツをアップすると目標を立ててスタートしました。
開始するとすぐに大きな変化が起こりました。
「反応」です。
ここ数年、本を出版したり、講演に呼んでもらったり「自分の考えを伝える」機会には恵まれていたと思っています。しかし、ここ数年はコロナの関係もあり、講演会もZOOM中心になったり、正直、想いを届けた相手のリアクションが見えずらくつまらなさも感じていました。
YouTubeって同じじゃないの?と思われるかもしれませんが、そこが全く違いました。
投稿をあげて数日たっただけで「(スプーン)やってみました」「子どもの見方が変わりました」といった感想だけでなく、「つぎは夜に寝ない時のポイントやってください」とか「トイレットトレーニングネタもお願いします」といった要望をもらい、直接お話しすることで僕自身にも新たな気づきを感じることにもなりました。
そして、それよりも驚いた「反応」は子どもたちからのものでした。
ここ数日間、「えんちょうせんせい、わたしたちのことも撮ってよ」と毎日のようにせがまれます。「ダンスするからさ〜」「ダンゴムシとれるばしょ教えてあげたらいいんじゃない」「コマを2分回せたら撮ってくれるよね〜」などなど。
子どもたちって、僕らが考えている以上に表現したいことがあるのだなと感心しながら「ねえ、YouTubeに映ってどうなるの?」と質問したところ、年長児のYちゃんが身を乗り出し、目を見開いて「えんちょうせんせい、YouTubeはね、せかいの人たちに『わたしは、ここにいるよ』って つたえるものなの!」と教えてくれました。
衝撃的な言葉でした。
この一言と出会えただけでもYouTubeを始めてよかったと思った瞬間でした。
撮影も編集も息子(次男)に依存するようなYouTuberですが、今はやりたい気持ちに溢れています。僕のモチベーションが下がらないように目標の登録者1000人を達成できるようにチャンネル登録をよろしくお願いします。
https://www.youtube.com/watch?v=fV1b1i7oYM0&t=2s
今日のテーマは「うがいってどうやったらできるの!」です。
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定番の⾚⾝やトロだけでなく、まぐろの胃袋を始めとする珍しい部位の数々を提供しているまぐろのあらゆる部位を料理するレパートリーは約200種類を超え、店頭には力強い筆で書かれた「無国籍料理200種」の文字。
料理人として一流なことは知ってはいたが、親方にはもうひとつ「仏師」としての顔があったとは知らなかった。
今回、お世話になっているカメラマンの忠さんに連れられて特別に親方の作業場やギャラリーを見せてもらった。
まず、圧巻だったのは1000体を超える焼き物の仏像たち・・・・
同じ表情のものなどないだけでなく、土や焼き方まで様々なバリエーション。
お邪魔した時は料理の下拵えの最中であったが、仏像の話などしているとふらっとこちらにやってきて、ひとつひとつの作品への想いを熱く語りだす。
その言葉が実に面白いのだ。
そして、今回感動したのは、三浦の浜辺に打ち上げられた流木などを掘った仏たち。
作業場には2メートルを超える巨木たちが転がっており、それだけでもびっくりな風景なのだが、その木に付着した汚れや皮をはがし、その芯部が露出してくるのだという。
長年海を漂っていた形跡が刻まれた木々の木目やこぶ、節などの風合いと対話しているとどのように彫ったら良いのか「見えてくる」のだそうだ。
手を加えすぎることも、また、手を加えなさすぎるのもいけないのだという。
頭に浮かんだのは江戸時代に生涯で12万体の木彫りの仏像を彫ったとされる円空。
そして、円空の作品は全国に知れ渡っているが、親方の数千体の仏像の存在は趣味として扱われてしまっている。
勿体ない。
くろば亭の味は、息子の拓哉さんや孫の玄太さんにしっかり引き継がれていくだろう、でも、三崎の円空ともいえる親方の仏像たちと言葉をしっかりと残すことはできないだろうか・・・
ちょっと動いてみるか!
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例年であれば、自分たちでついたお餅を自分たちで食べたり、近所にお裾分けしたりしていましたが、今回はお餅でオリジナル鏡餅作りの挑戦。
子どもたちは泥団子や粘土は大好きな遊びの一つなので、頭の中ではきっと作りたいモノがあったのでしょうが、実際お餅に触れてみると・・・・・
想像以上にくっつくくっつく、そして、伸びる伸びる。
何かを作り上げるというよりも、ひたすら感触を楽しんでいる様子。
そして、楽しい体験を寄せ集めてできたのが、こんな鏡餅。
この不格好な鏡餅を見ていると「結果よりもプロセスの方がずっと大事」だなと改めて思います。
子どもたちの楽しい体験が詰まったこの鏡餅は事務所に飾ってあります。
是非ご覧になってください。
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