今の子どもたちは非常に失敗を恐れるなんてよく言われます。

子ども時代は失敗を繰り返しながら色々なことを学ぶ時期ですから、いっぱい失敗するということは必要なことはみんな分かっている。

そして、楽しく失敗できる場として“遊び”というものがあるんだよね。

大切なのは、“遊びの場では失敗の体験は発見の喜びとセットになっている”ということ。
けん玉でもお手玉でも何かが出来るようになるということは結局この“失敗”と“発見”の繰り返しなんだよね。

ということは、子どもたちは上手になったから嬉しいのではなく、その過程で色々な発見をしたから嬉しいのです。その点を多くの人が誤解してるんじゃないかな。

そういった体験があるから、新しいことにも前向きに取り組もうとするわけで、たとえそれが困難なことであっても、その過程を楽しめる経験を学習したことになるんだよね。


それに対して、ー最圓靴燭藜犬蕕譴襪茲Δ幣譟⊆最圓靴覆い茲Δ縫泪縫絅▲襪鰺燭┐討れる場、∈切丁寧に指導してくれるような場では
子どもたちは失敗しないように必至になるばかりでうまく出来ても発見の喜びを味わうことはできません。

叱られながらけん玉やお手玉が上手になっても嬉しくないもんね。
これは“遊び”ではなく、“お仕事”です。

これでは新しいことに挑戦しようなどという気持ちにはならないよね。
サーカスの動物たちが自分の意志で新しい芸に挑戦しようなどとしないのと同じこと。

そのように育てられた子どもは、“よく知っていること”、“ちゃんと出来ること”にしか手を出そうとしないし、しかも、最低限のことしかやらなくなっちゃうんだわ。

自分の工夫やアイデアを入れると失敗してしまうかも知れないからです。
失敗すれば工夫を評価されるのではなく、ただ怒られるだけというのを学習しているから・・・。

それに対して、自信のある子は失敗を恐れないんだよね。(優越感じゃないよ。おととい書いたけど)


失敗なんて成功への一過程に過ぎないことを体験的によく知っているから。
そして、失敗から学ぶことも上手なんだわ。
失敗を分析すれば成功への道が見えるんだと思う。失敗は成功への道しるべなんだよね。

だから、当然の事ながら失敗から学ぶことが上手な子に怖いものなどありません。

怖いのは失敗を許してくれない大人だけなんですよ

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今日は職場にちょっとだけ顔を出し、普段出来ないことを行う日と決めていた。

闘病生活を送る知人のお見舞い。
不登校になっている中学生との面談。
母親の介護の関係の雑務。
どれも僕にとっては大切な時間。

途中、仕事中の妻から電話が入る。

良い内容の電話ではないと直感的にわかる。


2年前の11月、子どもがお小遣いで水色のインコを買ってきた。
生まれたばかりで、自分では食事が摂れず、3時間おきにスプーンで介助しながらの子育てだった。

名前を「じゅげむ」と名づけ家族の仲間入り。
僕らの食事時間以外は、鳥かごから出し、放し飼い状態。
あちらこちらに糞を撒き散らすが、ご機嫌を取るように人の肩に乗り、かわいい声で歌ってくれる。

手乗りインコなのに手には乗らず、人の肩や頭にとまる変なインコである。

そのじゅげむが 数日前から、全身の毛を逆立て、食事を取らなくなり、ふらふらし始める。
近所の動物病院に連れて行くと そのまま入院。
今朝からキャンプに出かけた息子は「帰ってきたら、じゅげむ いるかな?」と出発したそうだ。


電話の内容は、じょうげむの死を伝える電話であった。

夕方、病院に遺体を受け取りに行き、ドクターから死因の説明をうける。
やせ細り横たわっている じゅげむを観ていると ドクターの言葉は頭のうえを通り過ぎるだけ・・・

小さな生き物だが 家からいなくなると すべてのバランスが崩れる。
一言で言うなら、淋しい。

キャンプから帰ってくる子どもにどのように伝えるか?
そんな言葉も浮かんでこない。

じゅげむ。 お前は、家中にうんこを撒き散らし、机の上からめがねを落とし、人の顔をつつき、「じゅげ〜」と奇声を発する変なインコだったけど
みんな お前のこと大好きだったよ。






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先日、小学生数名を連れて河原で遊んでいたときの話。
お昼になって 食べ物も火もある 無いのは「箸」だけという場面ができた。

手づかみではあまりにも芸が無い。それでは食事が”えさ”になってしまう。
僕はみんなに「マイ箸」をつくろうと提案。早速、箸にできそうな小枝を集めて来いと指示をだす。

手元にあるのは、ナイフと紙やすり。
見本として 小枝の皮を削り、紙やすりできめを細かくする。
なかなかの出来栄えだ。

大多数の子どもはすぐに「貸して 貸して!」とやりたがる。
ナイフという道具で 箸という道具を作ることだけだが魅力は充分。

しかし、ひとりの男の子が“僕はナイフを使ったことがないから自信がない、だからやらない”と言う。そして、続けて“4年生ぐらいになったら自信が出てくるかも知れない”

僕は、“自信は待っていても出てこないんだよ 自信は実際にやって身につけるんだよ”とだけ話をして、その子の手を取り、一緒に数回だけナイフで皮を削る。
その後は当然、自分でやってみるということになる・・・


3才くらいまでの子は、同様な初めての体験でも、“自信がないから”などという理由で尻込みすることはないよね。その無鉄砲さがあるから赤ちゃんは親が教えないことでも積極的に学ぶことが出来るわけ。

だから、からだで学ぶことはこの時期に教えてしまうと簡単に学ぶことが出来るのだ。うちの子でも3才の頃にはトンカチもノコギリも切り出しナイフも普通に使うことが出来した。
教えるといっても基本的には“やっているところを見せ、自由に真似をさせる”だけ。この時期には言葉で教えようとしても無理だもんね。

4才ぐらいになると仲間の中で学ぶようになります。親がやらせようとしても怖がったり、嫌がったりするようなことでも、仲間と一緒なら積極的にやったりすることってあるでしょ。
コマ回しやケン玉や竹馬などはそのようにして学びます。子どもは仲間と同じ能力を身につけることで自信を付けていくのだと思う。

また、高いところから飛び降りたり、川を飛び越したり、木登りしたりという怖い遊びも大人に見てもらったり、仲間と一緒なら積極的に挑戦して乗り越えて、そして、自信を付けていきます。

こうやって考えてみると 子どもの時の自信は、頑張って努力した結果を仲間や大人に認められることで育っていきます。だから、そのようなものに挑戦する機会がない子、挑戦しても無視されたり、否定されたりしている子は自信が育たない。

さっきの子どもの場合は、そういう体験をする機会がなかったわけです。
だからやりたいんだけど手が出なかったわけです。

これが、日頃から否定されている子、無視されている子の場合だったら励ましてもやらなかったと思います。いつも否定されている子、無視されている子の場合は“ガンバレ”という励まし自体を嫌うから・・・

子どもたちは こうやって遊びを通して年齢相応の能力を身につけていきます。実は、子ども達の自信は、“特別なこと”が出来るようになることではなく年齢相応に“みんなと同じこと”ができるようになることで育っていくんだよね
ここのところを多くの大人が分かっていません。

大人にとっては他の人が出来ないような特別なことが出来ることが自信につながります。
だから、子どもにも“特別なこと”をやらせちゃったりする。
そして、人並みはずれた能力が身に付くと喜びます。(親が)
この時、大人はこれが子どもの自信育てにもつながると思いこんでいるのでしょうが、それは勘違い。

子どもはどんな特別な能力を持っていても、年齢相応の能力が育っていないと自信を持つことが出来ないのです。そういう子が持つのは“自信”ではなく“優越感”です。
“自信”と“優越感”は違うんだけど、そこを勘違いしている人がいっぱいいる。

あなたが 子どもに持たせたいのは「自信?」それとも「優越感?」

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