以前、母子寮で勤めていたときに不思議で仕方がなかった事がある。

お母さん達と子ども時代の話をしていると「子ども時代は思い出せない」とか「部屋の中でテレビばかり見ていました」「一人で遊んでいました」「家の中で遊んでいることが多かった」ということまでは思い出せるのだけれど、細部が出てこないのだ。

子どもの頃のことをよく覚えていないし、覚えていても特別な感情を伴わないただの出来事の記憶として残っているだけ。

その一方で60代、70代の人でも昨日のことのように子どもの頃の楽しかった遊びを語ることが出来る人もたくさんいる。
おとといも地域の70歳を越えた方と 大岡川での遊び方について30分近く熱く話し合ってしまったほどだ。

もちろん、若い保護者世代でも子ども時代をリアルに語れる人はいっぱいる。
そんな風に、子どもの頃の想い出を聞いているとそこに一つの共通点があることに気付くのだ。

まず、子どもの頃のことを生き生きと覚えていて、生き生きと語ることが出来る人は、大人になった今でも生き生きとしているということ。
これは、結構、当たりますよ。

次に、僕等以上の世代に関していうならば、その内容は自然の中で遊んだこと、仲間と一緒に遊んだことが圧倒的に多い。
僕も近所の山に基地を作って、誰とどんな会話を交わしたというような細部も不思議なくらいはっきりと覚えている。

子どもの頃のことを生き生きと語ることが出来る人は細部までちゃんと覚えているのだ。
風景や手触りまで思い出せる。
それと同時に、その時の感情までよみがえる。
だから、生き生きと語ることが出来るわけだよね。

人の記憶は感情とつながっている。
強く感情が動くような出来事は深く記憶に残る(楽しいことも・悲しいことも)。

そして、その感情は感覚とつながっている。
感覚が働くと感情が動く。
具体的にいうならキンモクセイの匂いや、肌に触れる風に気付くことで感情が動くわけですな。

また、その感覚はカラダや手に意識を向けることで働き始めます。
泥団子を作るだけでも感覚が働き、感情が動き出す。
そうするとそれが記憶となって残っていきます。
だから、保育園の子どもたちは、泥団子に記憶を絶対に忘れませんよ。おとなになってもね。

だから、子ども時代は目一杯、自分のからだを使って色々なことを学ぶべきなのだ。
その活動を支えている「能動的意志(造語だけど)」。
子どもはこの能動的意志をめいっぱい使って色々なことに挑戦してもらいたい。

この意志が生き生きと働いている時には子どもは、怖いもの知らず。
痛い想いをしようと、お母さんに叱られようとそんなこと構っていられません。
この意志はやがて消えてしまうので、その意志が消えるまでに出来るだけ色々な体験をしてもらいたいですよね。

僕は、小学校の頃、学校で何を学んだのか正直よく覚えていない。(先生とのやり取りは覚えていますよ)
覚えているのはサワガニやカエルを捕まえて裏山で焼いて食べたこと。パチンコを造ってすずめを捕まえたこと。
そんな記憶が「僕にも子ども時代があった」という証になっている。
そして、僕が、子どもをつなぐ「絆」でもあるのかもしれない。

その記憶があるから、子どもを自分と同じ存在として見ることができるのだ。
目の前にいるのは四十年前の自分と同じだから・・・。(保育にかかわる人間はそんな人であって欲しいよね)

その子ども時代を失ってしまっている人にとっては、子どもと自分との間には繋がりが存在しないのかも知れない。

その断絶を埋めるためには、大人がもう一度育ち直す必要があると思う。

大人も、カラダを使った学びや遊びの体験が必要になるだ。
でも、難しいのはからだを使う楽しさを知らない人はその学びから逃げようとしてしまうところがある。

そして、「作業」で誤魔化そうとしてしまうのだ。

やはり”遊びをせんとや生まれけむ”を感じていかねばならないね。



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何故だろう。
仕事が終わり、帰る頃になってから、頭の中で、アニメ「あしたのジョー」の主題歌が何度も何度も繰り返されている。

あしたのジョーは、僕が小学3〜4年の頃まで少年マガジンに連載されていたように記憶している。

『巨人の星』と並んで、梶原一騎のスポ根劇画の最高傑作だと今でも思っているし、あの力石徹が死んだ時には、寺山修司実際に葬儀を行ったり、また、よど号ハイジャック事件では、「われわれは明日のジョーである」と声明を残したこともはっきりと覚えているくらい、その時代にインパクトを与えていたのだと思う。

しかし、僕の記憶に今も蘇るシーンは、力石やカーロスリベラ、ホセメンドーサとの死闘などではない。

拳闘シーンならウルフ金串との試合の方が熱くなったし、今考えるとボクシング漫画としてではなく、人生の教科書みたいなものだったのかもしれない。

「浅草の山谷のドヤ街に、孤児院出身の少年が現われ、アル中の丹下段平を叩きのめす。」

このあらすじって凄くないですか?
ドヤ、孤児院、アル中・・・昭和の匂いがプンプンするでしょ。

その後、ボクシングセンスを見込まれたジョーだが、ドヤ街のサチ、キノコ、太郎らといった子どもを連れまわし乱交を繰り返す。
その後、ジョーに向けられる段平の情熱を利用して犯罪に手を染め、警察に逮捕されて鑑別所・少年院へと送られてしまった。

こういう世界もあったでしょ、僕ら世代には。

そして、少年院の中では、力石以外にも、弱虫の青山まもるやガイコツといったキャラクターも簡単に感情移入できる愛すべき登場人物なのだ。

また、僕は令嬢の白木葉子より、乾物屋ののりちゃん(林紀子)が、好きだったし、子ども心に「何故、マンモス西と結婚なの?」と思ったりもした。

こんな風に だらだらと書いているときも、あおい輝彦の声や尾藤イサオの歌声が頭から離れない。

あらためて、寺山修司の作詞の主題歌をみんなで読んでみよう

サンドバッグに浮かんで消える
憎いあんちくしょうの顔めがけ
たたけ たたけ たたけ
おいらにゃ 獣の血が騒ぐ
だけど ルルルルルルルルルルルル
明日はきっと何かある
明日はどっちだ


親のあるやつは国へ帰れ
俺と来るやつは狼だ
ほえろ ほえろ ほえろ
おいらにゃ 荒野が欲しいんだ
だけど ルルルルルルルルルルルル
明日はきっと何かある
明日はどっちだ


少年院の夕焼け空が
燃えているんだギラギラと
やるぞ やるぞ やるぞ
おいらにゃ 闘う意地がある
だけど ルルルルルルルルルルルル
明日はきっと何かある
明日はどっちだ

・・・・気持ちよく口ずさんだり、語ったりしていると、高校生の息子が「とうさん、おかしくなっちゃった?」だと。

平成生まれのお前には、この気持ちわかるまい。
 

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今年の元旦からあごひげを伸ばしている。
別に意味などはなく、休みの間、不精にしていただけだ。

今週から保育園が始まり、職員や関係機関の人たちの反応は
「ヒゲ伸ばすんですか?・・・・・」が殆どだ。

似合わないとも、似合うとも言ってはくれない。
「伸ばすんですか?」だけのリアクション。
つまらない。

子どもは違う。
「わ〜 ヒゲだ。触っていい?」
「ヒゲがあるほうが、園長先生らしいよ」
「かっこいい! 田舎のおじいちゃんみたい」
「へ〜ん。ないほうがいいよ」
感じたままを言ってくれる心地よさ。

いろいろな意見の中で、年長の女の子が「本当は、手紙で書こうと思ったんだけど、園長先生、ネクタイのときは ひげ止めたほうがいいよ」

なんという心配り。

明日は、スーツにネクタイだ。
・・・と言うことで 今から髭剃りです。

子どもの声に耳を傾ける園長でした(笑)


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