今、ちょっと気分が良い。
酔っ払っているのではないよ、云っておくけれど。

話は10月にさかのぼる。
運動会の終わった職員会議の日に理事長より、「くらき永田の職員は、良いことをしているならば、実践発表をしていく時期になっている」という訓示を受けた。

そして、先月の職員会議の日に、「いきなり、外に向けての発表は無理だから、まず、園内の他のクラスの職員に向けて実践報告してみよう」と課題を出したのだ。
テーマは「遊び」 時間は10〜15分。

今週の土曜日は大きな行事も控えている中での、研究報告のまとめは、こちらが考えている以上に大変だったと思う。

そして、今晩が実践報告の日だったのだ。
いつもの会議と違った席のレイアウト。プロジェクターに映し出される保育室の写真。

発表者だけでなく、いつもと違う雰囲気を感じている。



そんな緊張感の中である。
意外にも、みな上手にまとめてあるのだ。
そのクラスなりに、おもちゃを持ってきて実演したり、遊びを分類し説明したり、反省や課題も添えて解説したり・・・
充分に見ごたえのある発表になっているではないか!!

正直、まだまだ、拙いところはたくさんあるのだ。
もっともっと高いレベルで子どもたちを見てもらいたいのだが、でも、でも、それでも素晴らしかった。

本格的に保育を見直して1年半。
よくぞここまできてくれた。
知らない間に、こんなに育ってくれていたなんて・・・(涙)

北海道から保育の指導に来ていた横山さんが「八朗先生のところの職員は最高だよ」と言ってくれた時には、ホント涙が出そうになった。

研修が終わるとご褒美だ。

北海道から、はまゆでされたタラバガニ・毛がに。巨大なホタテ。箱に入った生うにとイクラ。そして根室産のホッケ。



さあ、栄養もつけたし、明日からまた、がんばろうぜ。
明後日の造形祭でも、保護者の皆さんと一緒に子どものこと語ろうじゃないの。

拙くても、自分らしい言葉でさ。

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熱はないのだが、咳が止まらず、のどが痛い。
忘年会WEEKだというのに困ったもんだ。

こんな時は、無性にタバコが吸いたくなる。
喉へのヒリヒリ感がたまらなく心地よいのだ。

周りの人は言うであろう「タバコは身体に害があるから、止めなさい」

さて、調査によりますと、タバコをたくさん吸う人ほど、タバコは身体に害があるとは考えていないらしい。
タバコを吸っているという事実。そして、タバコは害があるという知識。
この二つには矛盾がある。
害があると思いながら、タバコを吸うのは、何となく落ち着かなくて、不愉快だよね。

心理学では、この不愉快な気持ちを「認知的不協和」と呼んでいる。

人は、思いや行動に不一致、矛盾があると、心の中に不協和が生まれ、そのままでは気持ちが悪いので、何とか不協和を下げようとするのだ。

タバコを吸うこととをやめてもいいのだけれど、これはかなり難しい。そうすると、人は、変えやすいほうを変えるのだ。
そう、タバコには害がないと思えばOK。

他にもあるよ。カタログをいっぱいもらってきて、考えて、考えて、選んだ液晶テレビ。さて、買ってしまった後は、広告もカタログも見る必要はないのだけれどが、それでも人は広告を見るのだ。
しかも、自分が買った商品の広告を選んで!
他の広告を見て、もしも他のテレビの方が良いと思ってしまったらどうでしょう。
簡単に買い替えはできないから、「私はこのテレビを買った。しかし、あっちのテレビの方が良かった」という認知的不協和状態になります。
こうなってしまっては困るので、自分の行動が正しかったと思うことができる広告を読もうとするわけです。

ここでも、人は、自分の考えに会った、自分に都合の良い情報だけを選んで、集めてこようとするのです。

人間関係でもあるぞ。
親友を外出先で見かけた。あいさつをしたのに、その人は、そのまま行ってしまった。なぜでしょう。
その人は親友だという思いと、あいさつを返さなかったという事実は矛盾してしまう。
すると、普通は友達を裏切り者呼ばわりするのではなく、気づかなかったのだろう、声が聞こえなかったかな、と考えるわけですな。

ところが、嫌いな人との間にあれば、「私を無視した!」と思って怒ることでしょう。
人は、不協和が高くならないように、情報を解釈して、自分の考えに合うように、都合が良いように解釈してしまうのだ。

思い返すと心当たりあるでしょ!

さらにこんなこともある。
2008年、12月31日に、この世の終わりが来るぞ!!!

教祖様に言われて、最後の日を待ちます。
ところが、何も起こらず、2009年になりました。
さて、あなたならどうする?

こういうことって、新興宗教ではよくあることですよね。
入信したばかりの人は、教祖に幻滅し、脱会するでしょう。
でも、この世の終わりが近いと信じ、財産をすべて寄付し、学校をやめ、会社を辞め、家族を捨て、友人も捨てて従ってきた。教祖のために違法行為も行った。もし、こうだったらどうでしょう。

ここまで、のめり込んだ信者は、脱会することが出来ないんだよ。帰る場所が無いから・・・。
終末予言をする教祖を信じている。
しかし、この世の終わりは来なかったという事実がある。
ここに認知的不協和が生まれるのだ。

人は、変えやすいほうを変える。

たいした信仰も活動もしてこなかった信者は、教祖はペテン師だと考え、脱会します。脱会することで、不協和を下げるのだ。

でも、すべてを捨ててしたがってきた信者は、そんなふうに簡単には思えないんだな。

そこで、むしろ逆に、信仰を強め、教祖様のお力でこの世の終わりは来なかったなどと考え、ますます熱心に活動し始めるのだ。

恐るべし、認知的不協和!!

さあ、一服してから帰ろうかな!

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調査のため保育園に来ていた心理系の大学生が「子どもにちゃんと共感して・・・」なんて言葉を吐いていると、ついつい「判ってるの?」と声をかけたくなってしまう。

そもそも「共感」なんていうのは普段、無意識のうちにやってしまっていることなので、それがどんなことなのかを理解している人は実は少ないのではないか。

だから、余計に「共感」の押しつけになってしまうことが多いように感じるのだ。
「共感」と「思いこみ」の区別が付かないってこと。

“こんなにもあなたのことを心配しているのにどうしてあなたは私の言うことを聞かないの”なんてことあるでしょ?
友達にも、恋人にも、子どもにも。

また、一般的に「共感するためには相手の立場に立って考える」というようなことが言われるけれど、それを単純に、“私だったら”と考えことだと理解しているのならそれは共感ではないよね。

それは、ただ自分の感情を相手に投影しているだけ。

日本で最初にキリンが出産したときの話がわかりやすいので紹介するとしましょう・・・。

キリンは立ってお産をします。
だからあの高いところから赤ちゃんは地面の上に落ちてくるのだ。

それで、飼育員の人たちが“それは可哀想だ”と考えて、赤ちゃんが床に打ち付けられないように支えてあげたそうです。
その結果がどうなったかというと、赤ちゃんは死んでしまったのだ。

キリンの赤ちゃんは落下して、地面にたたきつけられる衝撃で肺の中の水をはき出すように出来ているらしい。
だから、優しいみんなに支えられることで、赤ちゃんは肺の中の水を出すことが出来なくて死んでしまったんだよね。

自分の感情を相手に押しつけて行動してしまった具体例でした。

共感するって、そう考えると難しいでしょ?

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