一昨日からの疲れが残っているのか、蕁麻疹がでたりと調子が出ない。
こんな日は、良くないことが起こる。

「殺人狂」の異名を持ったキラー・コワルスキー(81)がボストンの病院で死去したそうだ。

僕が小学生の頃、ジャイアント馬場やアントニオ猪木と対戦していた選手なので、正直「まだ、生きていたんだ〜」の印象も強いが、じわじわと寂しさが込み上がってくる。

小学生の僕らにとって「ニードロップで耳をそいだ!コワルスキー」というインパクトは凄まじかったのだ。

2メートルを超す身長と迫力あるマスクで、ヒールの中のヒールとして、僕らは、馬場や猪木が叩きのめされたら・・・と真面目にドキドキしていた。

プロレスというのはなかなか奥が深いスポーツで、同じ技でも使い手によって見ているものの印象は全く異なってくる。

レスラーは自分の持つキャラクターを把握し、それを使いこなせなくては一流にはなれない。

ジャイアント馬場の16文キック。猪木の卍固め。デストロイヤーの足四の字。ハルクホーガンのアックスボンバー、ハンセンのラリアット・・・もう止めておこう。
レスラーは自分の肉体を使った表現者なのだ。

保育や教育といった分野の一流の人たちも同じようなことが言える。
子どもたちとコミュニケーションするとき、自分のキャラクターを完全に理解し、コントロールし、そして、時間や空間やモノを最大限に活用することの出来る人間は一流である。
表現者として 最高の伝え方をするのだ。

キラー・コワルスキーのイメージは「死神」である。



コーナー最上段から舞い降りてくるニードロップは死神の手先の はげ鷹と表現されていた(記憶がある)

彼にぴったりのイメージだ。

タイガージェットシンはサーベル。アブドーラザ ブッチャーはあのコスチュームでキャラクターを作り上げたが、コワルスキーは存在自体が死神のように僕は思っていた。(みなさんは どうでした?)

この技でユーコン・エリックの耳を削ぎ落とし自殺に追い込んだ、というストーリーもプロレス的には最高だった。

あの独特のふわっとした滞空時間の長いニードロップの際には、ゴールドのリングシューズが刃物のように見えてくるのは僕だけではなかったはずだ。

話はそれるが、このダイビング・ニードロップの使い手は結構いる。
その中でもダイナミックさで僕の度肝を抜いたのがジプシー・ジョーだ。

彼はなんと金網の天辺からニードロップを豪快にはなっていたのだからその度胸には頭が下がる。

ただ、彼のニードロップは相手にダメージを与えることを目的としたようなニードロップで(悪くないんですよ)
コワルスキーのような魅せるニードロップではなかった気がするのだ。

また、トップロープからの攻撃を得意としていた選手として忘れられないのが、ドン・ジャーディンことサニー・クーパーが正体のザ・スポイラー!
2メートル近い彼の急降下爆弾はド迫力だったな〜。

なんだか、昔の名場面を思い出していたら 元気が出てきたぞ。

あれっ さっきまで近くにいた息子も奥さんもいなくなっている。
面白い話だと思うんだけどな〜。

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僕はスポーツの中で野球が一番好きである。
当然、応援にも熱が入ってくる。声を出し、立ち上がったり、身振り手振りをいれて講釈したり・・・
家族みんなで見始めた試合も 気が付くと誰もいなくなっているということもたびたびだ。

昨日ののオリンピックの野球は見ていてやたらとイライラする。
当たり前のことを当たり前のごとく行うといったプロらしさが感じられないのが原因なのだ。

言いたくはないのだがついつい高校野球と比較してしまう。

神奈川代表の横浜高校のバントの対応などは、見ていて唸ってしまう。

前回の広陵高校戦(選抜準優勝高ですよ)
 2回無死一塁。
 4回無死一塁。
 5回無死一、二塁。
 広陵高は3度のバント失敗したのだ。いや、失敗させたのだ。
これには、ちゃんと理由があった。横浜高のバント封じだ。

 横浜高のエース・土屋くんは、送りバントのケースで必ず内角高めにストレートを投げる。理由はもちろん、「一番バントがやりにくいから」だ。バントのサインが出ると、打者はストレートを待つことが多い。やりにくい内角高めでも、ついバントをしてしまう。そんな打者心理を考えてのセオリーな選択なのだろう。

 この日も、2回、4回のバントの場面で投げ込んだのは内角ストレート。カウントはいずれも0−1だったが、投手前に転がさせ、二塁封殺に成功している。そして、どちらもけん制球を入れていることも見逃せない。2回は1球、4回は2球。少しでも走者のリードを小さくし、スタートを遅らせるためだ。

このように、次に起こることを想定し、確実にやるべきことを行うのが素晴らしい。凡事徹底。

 ちなみに、この試合では3回にこんなこともあった。3回無死一塁。広陵高の四番・有水啓は送りバントの構えを見せる。ここでも土屋が投げるのは徹底して内角ストレート。1球目ボール、2球目ストライクで迎えた3球目、中井哲之監督はバスターエンドランを仕掛けた。ところが、土屋が投げたのは内角低め、「振らなければデッドボールだったと思います」(有水くん談)というゾーンへのストレート。有水はバットに当てることができず、一塁走者の林竜希は盗塁失敗に終わった。

 一、二塁のときも狙いは明確だ。ファーストの筒香くんが本塁と一塁の間、真ん中より少し後ろに守り、一塁側にやらせないようにプレッシャーをかける。サードの倉本くんはほぼベースについたまま。この態勢をつくっておいて、土屋が投げるのはサード側にやりやすい球。右打者なら内角、左打者なら外角だ。そこへ土屋自らが下りていってサードで刺す。もちろん、投球前にけん制を入れることは忘れない。

 5回はまさに狙い通りの守備だった。けん制を2球入れた後、左打者の二番・下川くんに外角スライダーを投じ、サード寄りにバントさせて三塁封殺に成功した。

 本来ならストレートでいいのだが、スライダーを選択したのは「打ってくる可能性もあったから」(捕手・小田くん)のコメントも奥が深い。ストレート待ちの打者がスライダーをバントすることで、左手で押し込むような感じになるのではという思いもあった。
「一塁側のバントも自信があるんですけど、ファーストが極端に前にいたので三塁側を狙いました。ライン際に決めれば送れると思ったんですけど、左ピッチャーが一番サードに投げやすいところに行ってしまった。(もっとライン際を狙って)ファールでもよかったんですけど……」
 そう言って悔やむ下川くんはこうも付け加えた。
「(2、4回の送りバント失敗で)フィールディングがうまいという意識がありました。その分、いいところに転がそうとしすぎたかもしれません。心に焦りがあったのも失敗の原因ですね」

 横浜高では、入学するとまず小倉清一郎部長によって投手フィールディングを叩き込まれる。横浜高に入ってくるような投手は、中学時代はスーパースター。「速い球を投げればいい」という感覚で守備練習に興味がない投手がほとんどだろう。きっと愛甲も松坂も涌井もそうだったろう。でも、そんな、子どもたちに基本を叩き込んだり、指導したり、風土を作るようなコーチが、オリンピック代表にはいないのか!!!!

それが、嘆かわしい。

 最近の野球は、余裕を持って二塁封殺できるタイミングにもかかわらず、セカンドを見もしないで一塁に投げる投手が目立つ。初めから「ひとつ取ればいい」という考えで、「セカンドでアウトにしてやろう」という意識がないからだ。
守備だってアウトを取る為に攻める姿勢とそこに至る基本が重要なのだ。

横浜高校は今日も勝ってベスト8、次の対戦は沖縄代表の浦添商。
このチームもまた良いのだ。常に全力疾走。また、守備の際の献身的にカバーに走る選手。
名勝負になること間違いなし。

全日本のみんなも基本に忠実にいこうよ。
能力は高いんだから、普段の力を出せば勝てるんだからさ。

子育ての文章よりも熱いでしょ。
これがみんなにとって ”うざい”んだろうな。
でも好きなんだからしょうがないでしょ。


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「園長先生! 〜チャンの足にとげが刺さっっているみたいです。ちょっとみてもらえますか?」

こうみえて、僕は刺抜きが得意である。子どもを不安がらせず、痛みも感じさせずに棘を抜くことをひそかに誇りに思っていた。

しかし、最近は見えないのである、細かいものが・・・
思うように棘を抜くことが出来ない自分がいる。

このままでは いけない!!!
僕の能力は 目だけで成り立っているのではない。
そうだ触覚だ。

僕たちは料理をしているとき、たとえば煮物が煮えたかどうだか確かめようと思ったら、菜箸でつついてみたりする。
もちろんそうすれば煮物が中まで柔らかくなっているかどうか分かるからであるが、考えてみればなぜ人は直接触っているわけでもない「煮物の固さ」なんていうものを触知することができるのだろうか?

また釣りをしているときも、釣り上げてもいない魚を「キスだ」「カレイだ」なんてわかるのも何故だろうか?

僕がワークショップのアイスブレイクでやるゲームで、まず一人の人に長いロープの片端を持ってもらって、そのまましっかり目をつぶってもらう。
そうしたら誰か別の人にロープの適当なところをソーッと踏んづけてもらう。
そしてロープを持っている人は目をつぶったまま、そのロープをいろいろ動かして、だいたいどの辺りを踏んでいるか当ててもらうのだけれど、これが多くの人がかなり精確に踏まれた場所を当てることができるのだ。

僕らは手に触れているのは菜箸や釣竿やロープだけれども、実はその「触れているもの」を超えて、その先にあるものを感知している。
人は触れることで、触れること以上の感覚を触知できるのだ。

人間に、ある感覚のその先にある情報を知覚する「超感覚(メタ感覚)」とでも言うような力があるのである。

しかし、それら超感覚が成立するためにはすべて「ある条件」が必要である。それは、その人とその道具との間に馴染みの深さが必要なのだ。
それは「菜箸」であったり「釣竿」であったり・・・

そしてその馴染みの深さが深ければ深いほど 神がかり的な感覚を生み出すのである。「〜名人」なんてみんな そんな人たちでしょ。


自分の感覚を菜箸や釣竿のような神経の通わない先の世界に延長していけるか。それが名人の技である。


そうだ。たとえ僕の目が老化して見えにくくなっても、刺抜きとの馴染みを深くしていけば、今後も「刺抜き名人の園長」でいられるのだ。

そして、僕は救急箱から 机の中に「刺抜き」の移動を行ったのである。

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