あまり関係の深くない子どもと会話をするときに つい「いい子だね〜」なんて褒めてしまうことがあります。

大人たちは子どもを“いい子”にしたがりますが、“いい子”になりたい子なんていやしない。

もしも そういうことを言う子がいたとしたらそれはお母さんやお父さんが望んでいるからで、心優しい子どもはお母さんやお父さんが望んでいることを自分の目標にしてしまう子もいるだけのこと。

じゃあ、子どもは何を望んでいるのだろうか?

僕流に言うならば“自由になりたい”ということなんですよ。

寝たままだった赤ちゃんがハイハイするようになった時、自由になります。
“ハイハイ”しか出来なかった赤ちゃんが歩くことが出来るようになった時、自由になります。
お話が出来なかった子がお話が出来るようになった時、自由になります。
けん玉が出来なかった子がけん玉が出来るようになった時、自由になります。
1+1=2が分からなかった子がその意味が分かるようになった時、自由になります。
昨日、今日のことしか考えることが出来なかった子どもが、何億年も昔のことや未来のことを考えることが出来るようになった時、自由になります。

子どもたちが自由になるということは、出来ることが増えていくことなんですね。そして、“自由になりたい”というのは、人間としての本能なんです。

この本能があるから、人間は文化や文明を創り出してきたんだと思うんです。

言葉を得ることで自由を手に入れました。
道具を作ることで自由を手に入れました。
考える力を得ることで自由を手に入れました。
様々な機械を発明することで自由を手に入れました。
そうして、人類はここまでやってきたのです。人類は自由を求める生き物なんです。それは“可能性を手に入れるための自由”です。

そうやって考えると 子どもの成長は人類の歴史と同じですよね。
(論理が少し強引かな?)

ちなみに、お分かりだと思いますが、“自由な子どもを育てる”ということは“好き勝手に行動する子を育てる”ということではありませんからね。

子どもを自由にさせても“自由な子ども”には成長しません。
けん玉を一生懸命に練習する子は自由を得るために不自由を乗り越えるのです。この自分の意志で不自由を乗り越える体験が自由な子どもの成長には不可欠なんです。

現代の子どもたちの問題は、自由を与えられていても、自由に生きるための能力を育てることが出来ないまま大人になっていきます。

逆な言い方をすれば、キャンプなどの非日常生活を体験してくるだけで 子どもが変わった(もちろん良い方向に)なんて事例は、当たり前なんですよね。
不自由な体験が、自由を目指す子どもにとって「生きる力」の源になるわけです。

このような考え方の元で、NPO法人”生き生き村”の村長 門脇邦弘さんは、誰の援助も受けずに294回もの生き生き村キャンプを実践してきました。
このことについては いつか詳しく触れたいのですが、門脇村長のような素敵な 子ども観をもった人たちが生きている間に この実践を広めたり、引き継いだりしていきたいと思うのだ。

あっ そうそう今日ブログのランキングが一時 104位になったそうだ。
ブログを通しての啓発活動は、今後どういう展開を見せるのか・・・

乞うご期待。

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保育士養成の大学から授業を依頼されることがある。
5年前くらいまでは、「援助技術」とか「コミュニケーション」といった内容を話す機会が多かったが最近では、ここ数年はなんと「保育」の話を依頼されるのだ。

僕にとってはありがたい話であるが、もっと現場のリアルな話を学生たちに伝えられる人材が現れなくてはいかんですね。

さて、本題。
コミュニケーション論などが専門と思っていた僕としては、講義だとしても”伝わらなければ意味がない”と考えているわけで、学生さんの力量やその場の空気によって話す内容や授業の進め方を変えてしまうスタイルをとっている。

依頼した先生や記録を取る人泣かせの授業である。

以前こんなことがあった。
授業内容「集団の遊び」・・・
僕は、アイスブレイク後、学生たちに人差し指を立てて「これで何を連想するか言ってみて!」と質問する。

180人いた学生はきょとんとするばかり・・・
近くにいた学生から答えていってもらうと
「一番?」
「人差し指?」
「お釈迦様?」
「つめが伸びてるとか?」と自信なさげに答えます。

別に正解・不正解があるわけじゃないけれど、「僕としては“この指とまれ!”って言葉を期待してたんだ」と伝えても、「あ〜〜」の反応もなかったのだ・・・
(それ以降他の学校でもこの質問はしないことにしています。)

結局、今の学生さん世代では 群れ遊びのサインすら伝わってないんだよね。
でも、それとは逆に共通の興味を持った子ども同士の集団遊びこそ、子どもの数が少なくなった現代では大切なわけでしょ。

たとえば、「この指とまれ」で鬼ごっこを始めたとする。
そうすれば、足、関節、腕、肩といった全身を使った活動であるし、
また、感覚、器官、骨格、血管等の発育にも繋がるし、
何よりも、楽しみ、創意工夫、仲間作り、ルール遊び、助け合い等々といったあらゆるものが「鬼ごっこ」には含まれるわけでしょ。

こんなこと説明するのもアホらしいよね。

さあー 流行らせようよ。
「この指とまれ」

「アカテガニ見学いくものもの この指とまれ。はーやくしないと 切れちゃうぞ。まだまだ切れない、まだ切れない 電気のタマ きれた!」

思い出してみて、誰かがこの言葉言い出すと なんだかわからないけれど面白いことが始まるんじゃないかって人差し指を掴んじゃったでしょ。

そんなわくわく感を体験してから大人にならないと・・・

えっ? 詳しい説明聞いてないって???

当たり前でしょ。僕はツアーを組もうって訳じゃないよ。
ただ、一緒に遊ぼうって言ってるだけだよ・・・

さーもう一回「この指 とまれ!」

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保育園児にまた兄弟が生まれた。
昨年から続くベビーラッシュ。
世の中は少子化でも、うちの保育園は別世界。

お父さんが嬉しそうに報告をしてくれる。
「下の子どももお願いします」と気の早い入園希望。

保育園にいると 0歳児の部屋は特別だ。
赤ちゃんは誰しも顔がかわいい。

生物にとって目の前にいる生き物が敵か味方かを瞬時に判断するのは重要な能力だとおもう。
人間は大人と 赤ちゃんの顔を100%見分けることが出来る。
当たり前だが実はすごいこと。だって男女は見た目だけじゃわからない人もいるでしょ。

科学的な根拠としては「目と目の距離が離れている」「顔の幅の割に目などのパーツが小さい」「頭蓋骨の形」「独特な脂肪のついたふくらみ」によって赤ちゃんは識別できるそうだ。
ベビーシェマなんていわれるこれらの特徴はキャラクターグッズなどが応用している。

面白いのがこのベビーシェマをみると「弱いものを助けたい」という反応が自動的に働くそうだ。
赤ちゃんはかわいいから かわいいのではなく遺伝子に組み込まれた本能でかわいく思えてしまうのかな?

パソコンを打っている横で高校生の息子が将棋の研究?をしている。
横顔をまじまじと眺めてみる。



うーん。やはり赤ちゃんの時のほうがかわいかったな〜。

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